30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの33歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返しています。1日1記事のnote日記→https://goo.gl/Jrkznz

バイトを1日で辞めた

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バイトを1日で辞めた。今からその顛末を書いていく。

 

11月13日

アルバイトの求人に応募した。働きたくなかったが、親にお金を借りることがしんどくなってきたのだ。ポスティングを辞めたのが4月15日だから、無職期間は7ヶ月に及んでいた。

 

選んだのは運送会社の仕分けの仕事。大学生の頃に経験があったので「まあいいだろう」と思って応募した。年末までの短期だ。

 

短期のいいところは、ゴールが見えるところだ。そこまで我慢すれば辞められると思うと力が湧く。期限のない契約だと、無期懲役のように感じられて無気力になってしまう。

 

11月15日

面接を受けた。会社に到着すると、アジア系外国人があっちこっちにいる。耳馴染みのない言語が飛び交っている。不安になった。

 

11月16日

会社から電話があった。採用とのことだった。

 

別に嬉しくはない。イヤイヤ応募したのだから。そもそも短期の大量募集は基本的に全員採用だ。こうなることはわかっていた。

 

僕はイヤなことをせずにお金を得る方法を知らない。お金を得るには必ず苦痛が伴う。悲しいことだ。この仕組みに抗えず流される時、生まれたくなかったなと思う。

 

コンビニで保険証や銀行通帳をコピーした。会社に提出するためだ。

 

11月17日

会社に手続きに行った。マンション内で挨拶事件があった日だ。

会社のテーブルには書類が何枚も置いてあった。一枚一枚、名前を書いては印鑑、名前を書いては印鑑、名前を書いては印鑑、印鑑印鑑印鑑印鑑……。ウンザリした。何とかならないものか。

 

トレーニングシート(?)とやらもあり、受講してもいない項目が何十個も並んでいる。これらにレ点を入れていけと言うのだ。なんて馬鹿らしい作業なんだと思った。形式主義ここに極まれり。

 

実際は先頭にレ点を入れて下に棒線を引っ張ればいいと言われたため、すべてにレ点を入れる苦行は免れた。しかしそれはそれで、より無意味さが増したように思えた。

 

11月21日

19時から20時頃まではオリエンテーション。20時から22時までは労働。

 

いわゆるラインでの仕分け。ローラー上流から流れてくる荷物をカゴに積んでいく。軽いものから重いものまで様々。単調な作業なので退屈で、なかなか時間が過ぎなかった。

 

途中で喉が渇いたが、水分補給していいのかわからなかったので、ひたすら耐えた。1時間30分してから、ようやくヒマができたので尋ねてみた。「自由に飲んでいい」とのことだった。

 

それは助かる。しかし嬉しくはない。この現場には「水を飲んでいいのですか」と聞かなければいけないような空気が漂っているということなのだ。

 

それに、水を飲んでいいことが判明するまでの1時間半、水分補給できなかった恨みは残る。だから労働はイヤなのだ。改めてそう思った。

 

22時に仕事を終え、タイムカードを通す。長蛇の列だった。安全靴を脱ぐ間もなく送迎バスに乗り込む。

 

22時10分、送迎バス発。仕事を終えて10分後にバスが出るというスケジュールはきつい。しかも満員で座ることができなかった。相変わらずアジア系外国人だらけだった。

 

11月22日

バイトをやめることにした。怒鳴られたわけでも、作業がすごくつらかったわけでもないが、もうあそこには行きたくないという思いでいっぱいになってしまった。翌日もあそこに行くのかと思うと憂鬱でたまらない。

 

この日は起きてからずっと無気力で、何もできなかった。明日の出勤に対して頭と体が「NO」を突きつけているのだと思った。

 

イヤなことを続けても仕方がない。退職してまた別の仕事をやろう。トライ・アンド・エラーだ。1日働いたのだから意味はあった。

 

これからは単発派遣をやっていこうと思った。夜勤で8時間働けば、それだけで1万円ぐらいになる。月に2万ぐらいあればやっていけるので、月に2度だけ我慢すればいい。

 

本当は派遣で働くのもイヤだ。8時間も軽作業を続けるなんて苦行中の苦行だ。退屈という精神的苦痛に加えて肉体的苦痛も伴う。人間のやることじゃない。ロボットにやらせるべきだ。そんな風に思う。

 

しかし毎月親に借金する生活もイヤだ。イヤとイヤを天秤にかけて、少しでもイヤじゃない方を選ぶ。

 

11月23日

バイト先に電話して退職を申し出た。

 

辞めたいと思ったらすぐ辞めたほうがいい。在籍すればするほど辞めづらくなる。

 

僕はかつて軽作業バイトを2年間続けたことがあった。たしかにお金は貯まったが、あの頃にはもう戻りたくない。夕方3時間だけの仕事だったが、残りの時間も仕事のことが頭から離れず、暗い気持ちで過ごしていた。

 

経済的には安定していたが、振り返ると「失われた2年間」という感じがする。だから我慢してイヤな仕事を続けることが良いこととは思えない。僕はそんな日々を送りたくない。

 

11月26日

会社に行って貸与されていたヘルメットと安全靴を返却した。

 

「体力的にきつい」と言って退職を申し出たため、小物やら書類整理やらの仕事はどうだと提案された。でも僕はもう辞めることで気持ちが固まっていたので、それらも受け入れず「退職します」と答えた。

 

駅までの送迎バスの発車は1時間後。会社で待っているのは苦痛なので、徒歩10分のところにあるバス停まで歩いて、そこから路線バスで帰った。

 

寂しい解放感があった。


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僕は挨拶恐怖症

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来週から労働することになった。

 

今日はその手続きのために職場に行く。集合時間は17時。もう遅刻してしまいそうだ。急いでマンションの階段を降りる。

 

下の方から人が来る気配がする。マンション内で人に会ったら挨拶しないといけない。僕は挨拶が大の苦手なので、いつも住人と会わないように気を付けて外出する。

 

でも今はそんなことをしている時間がない。正面突破しかない。感情を押し殺して「こんにちは」と挨拶する。しかし相手は挨拶を返さなかった。障害物を避けるように肩を引き、黙ってすれ違った。大柄の男だった。

 

頭に血がのぼった。こんなつらい思いをしてまで挨拶したのに無視された。許せない。悔しくてたまらない。相手の後ろ姿に向かって大きな声でもう一度「こんにちは」と言った。でも、また無視された。振り向きもしなかった。男はジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま階段を昇っていった。

 

僕はパニックになってしまった。怒りをこらえきれなくて、入り口のドアを力まかせに締めた。大きな音が周囲に鳴り響いた。

 

声をあげて泣き出したかった。仕事に行くのがつらい。遅刻しそう。そんな時に人とすれ違い、挨拶までしなければいけない状況に追い込まれた。もういっぱいいっぱいだ。それでも挨拶はしないといけない。覚悟を決めて、やっとの思いで挨拶した。その結果、無視された。二度、無視された。

 

僕は駆け出した。遅刻しそうだったから。でも、そうでなくても駆け出しただろう。感情を抑えることができなかったから。いっそ車にはねられたいと思った。

 

挨拶は、恐ろしい。僕が挨拶を欠かさないのは、しないとどんな目に遭うかわからないからだ。怒られる、叱られる、嫌味を言われる……。これらの攻撃を避けるためには、しっかり挨拶するしかない。攻撃される前に攻撃する要領だ。

 

街で人とすれ違う時と同じように、挨拶せずにすれ違えたらどんなに楽かと思う。でもそれは無理だ。子供の頃から、マンション内で人と会ったら挨拶するようにしつけられている。しないとどんな目に遭うかという恐怖から逃れられない。

 

子供の頃に挨拶をしなかったら、親や教師から叱責される。その時の恐怖が抜けないのだ。大人になった今でも、大人からの叱責におびえている。

 

挨拶はとにかく苦手だから、視線は常に落としたままだ。だから相手の顔などは当然わからない。マンションの住人とすれ違う時には極度の緊張状態にあるので、それが限界なのだ。

 

挨拶しないと叱責される。評価が下がる。要するに罰を受ける。だからどんな形であれ、挨拶はできた方がいい。その意味では、恐怖が原動力であってもいいのかもしれない。

 

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僕は恋愛ができない

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小学5年の頃、好きな女の子ができた。いつもその子の存在を目で追いかけていた。気付かれると目を逸らした。ある時、目が合った瞬間に「ニヤリ」とされた。ドキッとした。好意がバレてしまったと思った。

 

その後、校庭でキックベースをやっている時、彼女は友達と一緒に大声で僕に声援を送った。

 

僕にはわかった。これはからかわれている。彼女は僕がドキマギするのを楽しんでいるのだ。恥ずかしいのでやめてほしいと思った。

 

転校する時、彼女は友達と一緒に我が家に来て、下敷きと何かをプレゼントしてくれた。僕は不在で姉が受け取った。その下敷きは姉にあげてしまった。

 

***

 

中学1年の頃、クラスのある女の子が僕を好きなようだった。噂が立っていたし、忘れ物をした時に貸してくれたりもした。年賀状ももらったが、返したかどうか覚えていない。

 

その年のバレンタインデーは休日だった。彼女は友達と一緒に我が家を訪れて、僕にチョコレートとクッキーをくれた。手作りだった。

 

僕は嬉しさよりも困惑した。もらうところを家族や友人に見つかったら恥ずかしいと思って、受け取るや否や、さっさと家に入ってしまった。お礼ぐらいは言ったと思うが、よく覚えていない。

 

嬉しくはあった。嬉しくて、袋やリボンをしばらくバッグに入れていた。でもお礼の手紙も送らなかった。学校でお礼を言うこともなかった。

 

それ以降、彼女が僕にアプローチしてくることはなかった。でも僕はそれを残念と思うこともなかった。

 

彼女は良い子ではあった。でも僕はどうしたらいいのかわからなかった。デートするなんてことは全然思い浮かばなかった。普段の学校生活で精一杯だった。

 

***

 

中学2年の頃の話だ。

 

給食の時間に、女子のOさんから伝言を受けた。Nさんという女子が僕に話があるというのだ。放課後に屋上の入り口に来てほしいとのことだった。給食は班ごとに机をくっつけて食べる。だからこの話は男女5~6人に聞かれている。

 

野暮な僕でもこれは告白だろうとわかった。問題はNさんという子だ。はっきり言って清潔感がない。いつも寝癖がついていて、ボンヤリしている。声を聞いたこともないぐらい誰とも話さない。

 

僕はこの子に告白されることを迷惑だと思った。

 

放課後になった。野球部に所属していた僕は友達に「グラウンドに行こう」と誘われた。しかし上記の用事があるので断った。どこへ行くのか聞かれ、僕は「Nさんに呼ばれている。屋上の入り口に行く」と答えた。

 

その友人は僕についてきてしまった。屋上に向かう階段で待ち伏せする形だ。僕は屋上の入り口で待ったが、Nさんは来なかった。僕の友人が邪魔で来られなかったのだと思う。

 

僕が毅然と「大事な話があるんだから来ないでくれ」と突っぱねれば良かったと思う。でも僕にはそれができなかった。

 

そもそも友達には適当なウソをつくべきだった。そしてしっかりとNさんに会って、断れば良かった。その日からずっと後悔の念が残った。今でも折に触れて思い出す。「しまったなあ」と思う。

 

しかし、どのようにウソをつけば良かったのか。どう考えても思い浮かばない。帰りの会が終わったらグラウンドに行く。これ以外の行動は不自然なのだ。

 

***

 

これ以降、僕には恋愛に類するエピソードはない。高校は不登校だったし、大学は教室と図書館を往復する日々だった。卒業後は仕事が苦痛で続かず、異性どころではない。

 

だからここに書いた子供の頃の話が、僕の恋愛経験のすべてだ。あまりにも乏しい。これでは女性のことなどわかるわけがないと思う。僕には女性のことを知らないというコンプレックスがある。

 

でも特に恋愛をしたいとは思わない。心の平安を乱されたくないからだ。「恋の病」に対する恐れがある。二次元キャラクターに恋焦がれてつらい思いをしたことがあり、あんなのはもうごめんだと思うのだ。

 

若い頃に恋愛に翻弄されずに済んだとも言える。消極的な性格は、自分を守る意味もある。だからこれはこれでよかったのだと思う。


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人と接するのが苦手だからこそ、イベントを主催していく

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もくもく会というイベントを主催した。

 

喫茶店などに集まって、一人ひとりが別々の作業をするだけの会だ。phaさんが始めた会で、今では日本各地でおこなわれている。

 
無職、ニート、仕事が続かない、イヤなことを我慢できない、非正規、不登校、夜型人間、神経質、心配性、不安、実家暮らしがつらい、常に体調不良、人と接するのが苦手……。
 
すべて僕のことだ。
  
こういうタイプは孤立しがちだ。人と接するのが苦手だからだ。しかし孤立すると心が追い詰められてしまう。既に追い詰められている感じがある。
 
phaさんは「集まってると死ににくい」「ニートのような弱い立場の人間ほど、仲間を作ることは重要だ」と書いている。

 

僕は弱い立場の人間なのに、人と接するのが苦手で避けてしまう。既存の集団に入ることもできない。
 
そこで「もくもく会」を主催することにした。
 
***
 
僕は人と会おうとすると緊張で体調が悪くなってしまう。

 

だからもくもく会はちょうどいい。一応は人と接するわけだが、特に会話するわけでもないので、それほど緊張しない。

 
またこの会は主催しても失敗ということがない。人が来ても来なくても、僕は変わらず作業をするだけだからだ。
 
***
 
1回目は地元所沢のマクドナルドで開催した。事前の連絡もなかったので、まず誰も来ないだろうと思っていた。そのつもりで作業をしていたらいらっしゃったので驚いた。嬉しかった。
 
2回目もまた所沢で開催。今度は事前に参加希望の連絡があったので、1回目より緊張した。それでも無事に終えることができた。
 
次は池袋で開催する予定だ。所沢では来にくい人が多いはずなので、思い切って都内の繁華街で開催することにした。

 
僕は働けないのでお金がない。だから安い喫茶店にしか行けない。そういうところは環境が悪い。騒ぎたい若者が集まってしまうからだ。でもそれは仕方がない。毎回ルノアールなどに行っていたらお金がなくなってしまう。
 
この先も毎週開催していく予定だ。基本的に所沢近辺で行い、月1で都内という形でやっていきたいと思っている。働けないけど、何とか生き残りたい。
 
***
 
開催資金を援助していただけると嬉しいです。


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大学には行ったほうがいい(働きたくない人向け)

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「大学には行かないほうがいい」という話がツイッターで話題になった。でも僕は行ったほうがいいと思っている。

 

僕の高校時代は暗かった。集団生活がつらくて不登校になり、一人で勉強できる通信制高校を卒業した。アルバイトもせず、市立図書館にこもる日々だった。2年半の間、友人はゼロ。あまりの孤独に耐えかねて、泣きながらカウンセラーや祖父母に電話したりした。

 

だから大学に進学して、人の中に入れたことが嬉しかった。大学のいいところは、集団の中にいながら、集団で行動しなくていいところだ。

 

サークルにも入らなかった。どこかに入ろうとして見学にも行ったが、気に入ったものがなくてあきらめた。

 

大学は自宅から1時間ぐらいのところにあった。授業以外の時間は学食かパソコンルームか図書館にいた。学食では新聞や本を読んだ。人の出入りが多いのが良かった。寂しさが紛れた。

 

パソコンルームではレポートを書くこともあったし、遊びで使うこともあった。よくmixiの日記を更新した。

 

図書館では来る日も来る日も本を読んだ。興味のおもむくままに読んでいると、いくら時間があっても足りない。

 

こういうことはすべてニートでもできる。大学に入学しなくてもキャンパスには入れるからだ。図書館は学生しか入れないところが多いが、別に公立の図書館でもいいだろう。

 

ただ、そういう暮らしをしていると、親から「働け」と言われる。でも大学生なら何も言われないのだ。朝、家から出てしまえば後は自由だ。朝から晩までほっつき歩いていても何も言われない。親は学校で勉強していると思うからだ。

 

要するに、大学生になってしまえば、4年間遊んでいても文句を言われないのだ。ブラブラしていても何も言われないのは大学生だけだ。

 

フリーターでも遊べるが、周囲から「正社員になれ」といった文句を言われ続けるし、正社員でない自分を責めてしまいがちだ。社会には「フリーターは大損」「フリーターではいけない」「フリーターは今すぐ正社員を目指せ」という言説があふれている。

 

大学生なら、単位さえ取れていれば後は遊んでいても何も言われない。ニートとほぼ変わらない生活を送っていても、ニートとは呼ばれない。大学生でありさえすれば「ニート」という言葉で自分を責めないで済む。

 

これは精神的に大きい。同じブラブラするのでも、大学生であれば周囲は許してくれる。社会に許されているという感覚を持って4年間遊べる。

 

4年後にはニートになるかもしれないが、少なくとも4年間はニートとは呼ばれない。20歳前後の多感な時期に、精神的苦痛なく遊べるのは大きい。ニートやフリーターになるまでの時間を先延ばしにできる。

 

大学生という身分でありさえすれば、現代日本社会に蔓延する「正社員教」や「ニートバッシング」「フリーターバッシング(非正規バッシング)」から逃れることができる。

 

現代日本社会において、大学生だけが遊んでいても許される身分なのだ。何百万円もの学費がかかるが、それは遊んでいても非難されない身分証の値段だ。それを親が買ってくれるというのなら、買ってもらって利用したほうがいい。

 

***

 

やりたいことがあっても、大学に行きながらやればいい。少なくとも文系の大学生は暇だ。大学1年の春学期(入学から夏休みまで)などは忙しいが、それでも高校のように週5日、朝から夕方まですべて授業が詰まっていることはない。基本的に、週に2日から3日通えば卒業できる。 

 

教職などの資格を取ろうとすると忙しいかもしれないが、忙しいのがイヤなら取らなければいい。最低限の単位で卒業しようとすれば、かなり暇だ。夏休みも春休みも2か月以上ある。

 

***

 

明確にやりたいことがある人は、まっすぐそこに進めばいい。しかし特にそういうものがなく、親が学費を出してくれるのであれば、大学に行かない理由がない。

 

高卒で就職して、勉強したくなってから進学するのもいいとは思う。でもその場合、親はお金を出してくれないだろう。でも高校から大学にストレートで行けば、親がお金を出してくれることが多い。

 

4年間で400万円ぐらいかかるから、400万円小遣いをもらえるのと同じだ(学科によってはもっとかかる)。タダでお金をもらえるなら、もらっておいたほうがいい。

 

「どうしても専門学校に行きたい」「どうしても就職したい」という人は、そうしたらいい。でもそういうものがないのであれば、大学に行くのがいいと思う。勉強なんかしたくないとしても、週に2日も通えば卒業できる。残りの5日間で遊べばいい。

 

***

 

学部や学科は興味のあるものを選べばいい。「本当は哲学を勉強したいが、将来のことを考えて経済学部」みたいなことはやめたほうがいい。授業がつまらなすぎて通えなくなってしまったら本末転倒だ。やりたい勉強をして充実した日々を送ったほうがいい。

 

僕は哲学・宗教専攻という完全に就職に役立たないところで学んだが、後悔していない。今になっても「楽しい4年間だった」と振り返ることができる。好きな学科を選んで良かった。

 

「映画の勉強をしたいけど親が法学部しか認めず、それ以外の学科では学費を出してくれない」というような場合は仕方がない。学校の勉強はギリギリ卒業できる程度にして、残りの時間に映画の勉強をすればいい。

 

他学科の講義にもぐりこむことだってできる。僕は実際にやった。黙っていてもいいし、気が咎めるなら教授に相談すればいい。また、学外の市民講座を受講してもいい。

 

とにかく大学生には時間があるので、学ぼうと思えばいくらでも学べる。僕はよく美術館に行った。文学記念館にも足繁く通った。

 

大学生には大いに時間がある。大いに時間があるから大いに学べて、大いに遊べる。そんな暮らしをしていても許される唯一の身分だ。だから大学には行ったほうがいい。僕はそう思う。

 

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この記事は、自分自身がツイキャスで話した内容を元に書いた。YouTubeにアップロードしたものを下記に掲げておく。

 

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スカートを穿いて暮らしたい

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8月のある日から、深夜限定で、ハーフパンツで出かけるようになった。僕は昔から成人男性のハーフパンツをカッコ悪いと感じている。見かけるたびにイヤな気分になって目をそらしてきた。

 

それぐらい嫌っていたのに、何があったのか。

 

掃除をしていたら高校時代に体育で穿いていたハーフパンツが出てきたのだ。それを見ると、裾が結構広い。

 

僕はスカートを穿いて出かけたくて仕方がない。でも男がスカートで外出することは社会的タブーとなっているので諦めている。でもこのハーフパンツなら、少しだけスカート外出の気分を味わえるのではないか。

 

そう思って穿いて出かけてみた。人に見られたくないので、深夜2時か3時に、人通りが少ない道を選んで歩いた。

 

足元から股に入ってくる風をそこそこ感じられて嬉しかった。スカートとはだいぶ違うが、長ズボンよりは近い。

 

スカートへの憧れからハーフパンツ外出の扉が開かれたのは面白いものだと思う。

 

とはいえ、やはり大の男のハーフパンツ姿はイヤだと感じる。目を背けたくなる感覚は変わらない。

 

だからこの先も、深夜の人気のない道以外に穿いていくつもりはない。コンビニに行くなどは考えられない。

 

もっとも、今はもう秋だ。穿くも穿かぬも来年以降の話になる。

 

***

 

先日、ガウチョパンツというものを知った。裾が広めのズボンで、レディースファッションだ。足を閉じるとロングスカートのように見える。

 

それでもズボンなのだから、男性が穿いてもいいのではないか。そう思ってググってみると、メンズもあった。これはいい……。好みだ。

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(画像出典 http://buyee.jp/yahoo/shopping/store/item/mensapparel_111120/mensapparel/1?lang=ja

 

さらに調べると「袴パンツ」などというものもあった。カッコイイ……。こういうのを穿いて出かけたい。

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 (画像出典 http://buyee.jp/yahoo/shopping/store/item/albino_10141/albino/1

 

でも今住んでいる郊外の街では目立ってしまう。僕は目立ちたくない。

 

都会に住めばいいのだろうか。僕は都内に行くたびに道の狭さに辟易して郊外に帰りたくなるのだが、郊外は僕に向いていない気がしている。

 

郊外というのは、サラリーマン家庭で構成されている街だ。サラリーマンというのは、自分を周囲に合わせられる人たちだ。そこからはみ出てしまうような人間は、郊外では異端者なのだ。

 

スカートを穿いて暮らしたい。それが難しければ、せめてそれに近いズボンを穿いて暮らしたい。でも目立ちたくはない。

 

標準から外れた格好をした場合、郊外なら目立つが都会なら目立たない。人が多くて一人ひとりの存在感が薄まるからだ。

 

また人混みの中にいると、自意識が弱まる感じがある。人間は情報量のかたまりなので、目の前に大量の他人がいると、脳がそれを処理することで精一杯になって、自分がどう見られているかと気にする余裕がなくなるのだ。

 

都会には自分が変だと思っている格好を上回る変な格好の人がいる。だから、ある程度は安心して好きな格好ができる。外国人も多いから、現代日本人の標準から外れた格好をしていることへの気後れも薄れる。

 

目立たずに済むとか、流行っているとか、モテるとか、そういう他人基準ではなく、自分がその格好をしていると幸せな気持ちになれる格好で暮らしていきたい。

 

 

***

 

 

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雇われて働くのは、もうイヤだ

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労働が苦役でなかったことがある。2016年の夏だった。僕はデータ入力の仕事に就き、週5で7時間働いた。期間は短期で1ヶ月半。

 

水分補給自由、アメを舐めてもいい、雑談も可というゆるい職場だった。トイレは申告制だったが、僕は職場の上の人に掛け合って、自由に行けるようにしてもらった。

 

時給1000円だったので日給7000円。日払いだったのも嬉しかった。1ヶ月半で、計25万ぐらい稼いだと思う。

 

パソコン、iPad、iPod touchなどを相次いで購入した。2日連続でプロ野球を観に行った。金を湯水のごとく使った。

 

秋にも募集があったので、また働いた。前回のメンバーとは変わってしまい、雑談できる人がいなくなった。トイレが申告制に戻ってしまった。今度は掛け合ってもダメだった。椅子も前回は背もたれ付きを認めてくれたのだが、今回から丸椅子になってしまった。丸椅子に座って長時間パソコンに向かうのはつらい。

 

休憩から戻る時間もアバウトだったのが厳格化された。2分遅れで戻ってきたら、60代の男性上司に「休憩時間の終わりには席にいて、チャイムと同時に作業を開始しないといけない」と叱られた。

 

「社会人として当然」という意見も出ると思う。この男性上司も「これは常識だから」「社会に出たら」「社会では」等々、テンプレートのような会社員語録で叱ってきた。

 

でも僕はそういうのが非常につらいのだ。休憩時間が10分なら、10分休んでから戻るのでなければ、休憩時間10分と言わないと思う。そもそもデータ入力の開始が1分や2分遅れたからといって、誰に迷惑がかかるのだ。

 

たとえば作業中に資料でも取りに行って、そこで会った人と雑談でもしたら1分ぐらいたつだろう。「チャイム前には席に着く」とか「チャイムと同時に仕事開始」などというのは男性上司の自己満足ではないか。開始時間にだけ異常に厳しいというのは、全国の学校や会社にはびこる病気だ。

 

この60代男性上司は、夏に働いた時に比べると機嫌が悪かった。朝礼で「うちのバカ息子が……」みたいな話をしていて、イヤな感じだった。息子であろうと「バカ」などと付けて語るのは不快だからやめてほしい。そんな言葉を使う人間がいる空間にいたくない。

 

***

 

僕だけでなく、ほかの人も彼の説教被害に遭っていたようだった。

 

彼は定年退職してこの職場に来たらしい。同世代や同じ境遇の人間がいなくて不満を募らせ、各所で愚痴っているとか。そんなどうでもいい話を小耳に挟んだ。元は一流百貨店の社員だったらしい。哀れなものだと思った。でもそんな哀れな老人の指示に従わねばならない自分は、なお哀れだ。

 

それはさておき。

 

僕は仕事に行くのが非常につらくなった。ある日の朝、吐き気で朝食が食べられなくなった。玄関で靴を履いていたら、めまいと同時に猛烈な不安が来て、自分はここで泣き叫んでしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 

自転車で通勤する間も「うー、うー」と、うなりながら感情を制御した。「イヤだよーイヤだよー」「行きたくない行きたくない行きたくない」とつぶやき続けた。

 

職場に着いても、もはや社交上の作り笑顔ができなくなっていた。つらさを隠せなくなっていた。周囲からも「具合が悪そう」と心配された。「やせたんじゃない?」とも言われた(元々ガリガリなので、やせるのは大ごとだ)。

 

あまりにもつらいので、担当者に相談して勤務を週3日に減らしてもらった。

 

しかし家に帰ると「もう働けない」と思った。派遣会社に電話して「体調が悪すぎてもう無理です」と言った。引き止められたが、何とか断った。

 

同じ職場なのに、楽しく働けた職場が、つらい職場になってしまった。会社が突然ルールを変えてきても守らないといけない。部署単位では、上司ひとりの不機嫌で変わってしまう。雇われている僕は何もできない。異を唱えることはできるが、多勢に無勢だ。

 

雇われて働くのは、もうイヤだ。


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