30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの32歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返す男の日々を綴っていきます。現在は週2でポスティングをやっています。

僕は就活ができない

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僕は就職活動というものをほとんどしたことがない。そもそも会社員になりたいと思ったことがない。

 

中学時代の夢は歴史研究者だった。高校に入ると僧侶になりたいと思った。不登校になり、本を読みあさっているうちに、仏教と出会ったのがきっかけだった。寺の坐禅会に通い、阿弥陀仏の救いを信じて念仏を唱える高校生だった。

 

それで大学の仏教学部に進学した。ところが勉強は退屈で、先生方にも人としての魅力が感じられなかった(先生方は僧侶でもあるので、かなり失望した)。

 

そこで2年に上がる時に西洋哲学専攻に転じ、研究者になる道を考えた。しかし卒業論文の作成で嫌気が差してしまった。研究は僕がしたいことではなかったのだ。

 

こうして、なりたい職業がなくなった。

 

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自己分析をいくらやっても「働きたくない」という結論しか出なかった。企業の説明会に行ってもまったく興味が持てない。なるべく働かずに生きたいという思いしかなかった。僕の望みは、ただのんびり暮らすことだった。親も何も言わなかったので、進路未定のまま卒業した。

 

「友人が次々に内定を決めていくのに、自分は内定なしでつらい」みたいな話をよく聞く。でも僕は当時も今も、そんな気持ちを抱いたことがない。僕は人の目をとても気にする人間だが、働くことに関しては「誰が何と言おうと就職したくない」という強い思いを持っていた。学生時代に体験したアルバイトのすべてが苦痛でしかなかったからだ。

 

卒業後はメール便の配達をやった。すべての仕事が嫌だったが、親が「月に3万、家に入れろ」と命じてきたので、仕方なく少しだけ働くことになった。この仕事にしたのは、出社不要だったからだ。これなら会社嫌いの僕でも何とかなると考えた。週6日労働だったが、1日2時間で終わるので勤まった。

 

結局3年働いて退職した。続いて郵便局で配達の仕事に就いた。ここでふと「正社員になろう」という世間並みの目標を持ったのだが、社内で酷い目に遭って終わった。詳細は下記の記事に書いた。

 

*** 

 

29歳の時、焦り覚えた。「今を逃したら一生就職できず後悔する」と思い、若者正社員チャレンジ事業というものに応募した。しかし1社受けただけで終わり。どうにも向いていないのだ。そもそも応募することができない。

 

僕は会社員生活には苦痛しかないと思っている。それでどうして応募できるだろうか。

 

働くしか選択肢がないのであれば、とにかく最小限にとどめたい。ところが正社員となれば、週5日・毎日8時間以上働かされる。そんな生活は絶対に嫌だ。だから僕は就職活動ができない。

 

就職なんてしなくても生きられる。少なくとも僕は32歳まで生きられた。もし今年死んでも、就職せずに9年間生きられたのだから良かったと思う。


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力を感じさせない人でありたい

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以前「親との同居は無理がある」という記事を書いた。それを読んだ方のツイートで、気になるものがあった。

 

 

これはおそらく、以下の部分について言及したものと思われる。

 

酒も飲まずタバコも吸わずギャンブルもやらず、女遊びもグルメの趣味もない。コレクターではないので物で場所を取ることもない。人を殴ったこともないから暴力の心配もいらない。

 

僕は別に、暴力を振るわないことが長所だと言いたかったわけではない。酒・タバコ・ギャンブル・女遊び……と来ての「暴力」なのだ。「男の代表的な悪癖を僕は持っていませんよ」と言いたかっただけなのだ。

 

このツイートは7件リツイートされ、8件いいねがついている。僕はこれだけの人に「すごく暴力を振るいそう」と思われてしまったのだろうか。

 

今後は誤解されない文章を書いていきたい。

 

***

 

上記の文章を綴っているうちに、ふと男性の力について思うところを書きたくなった。力といってもいろいろあるが、今回僕が書くのは肉体的な力のことだ。

 

一般に男性は腕力を誇ることが多い。腕力のない男性はそれを恥じる。腕力へのこだわりが強いのだ。

 

でも僕の場合は、逆に腕力のない男でありたい。腕相撲で女性に負けたい。女性に「守ってあげたい」と思われたい。

 

僕は現在167センチで46キロだ。ガリガリで、医者からも「もっと太った方がいい」と言われている。でもこんな体型を自分では良いと思っている。弱々しくありたいからだ。強そうなのが嫌なのだ。

 

***

 

ガッチリとした肉体の男性は「頼りになりそう」と思われて好まれる。僕もその気持ちはわかる。でも自分自身がそうなりたいとは思わない。風が吹いたら飛ばされそうな感じでありたい。

 

太りたくもない。太った人には物理的な存在感がある。僕はいても気付かれないぐらいでありたいから、存在感があっては困る。

  

マッチョにはなりたくないし、肥満体にもなりたくない。力を感じさせない人でありたい。植物のようでありたい。


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生きることと書くこと

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社会不適合者界隈で有名な、えらいてんちょう氏のツイートに興味を惹かれた。

 

 

僕はどんなことにストレスを感じているのだろうか。

 

人が近くにいる環境、自由にトイレに行けない環境、自由に水分補給できない環境、自由に休めない環境、毎日同じ人に会うこと、出勤すること、出勤時間が決まっていること、人に挨拶すること、何かをやりたいと思った時に人がいるためにそれができない状況、人に何かを命じられること、人に何かを頼まれること、人と長時間一緒にいること、車に乗ること(自分が運転するのも、人が運転する車に乗るのもダメ)、酒、タバコ、飲食全般(自分が何を欲しているかわからないから)、買い物、何かを選ぶこと

 

こんなところだ。

 

***

 

逆の発想で、理想の一日を考えてみた。

 

自然に目が覚めた時間に起きる(目覚まし時計は決して使わない。無理やり起きることほど嫌なことはない)。近所を散歩する(お日様に顔を向けて歩く時、僕は幸せを感じる。青空が大好きなのだ)。

 

帰宅後にご飯。誰かがつくってくれれば良い。自分で作るとすれば簡素なもの。食後、自宅で何か作業をする。勤めるのは絶対に嫌だ。というか無理。以前は勤めていたが、もう二度と戻りたくない。

 

疲れたら休めること、そして人が周りにいないことは必須。僕は親だろうが兄弟だろうが、人が周囲にいると緊張して疲れてしまう(恋人や妻だと違うのかもしれないが、いたことがないのでわからない)。

 

***

 

僕が苦なくできることは、散歩と読書とネットサーフィンだけだ。でもこれだと何の生産もしていない。少しは生産したい。

 

文章なら書ける。ただ文章を書くことを楽しいとは思っていない。僕が文章を書くのは、それが必要だからだ。僕は書かないと物を考えられない。書かずに考えたことはすぐに雲散霧消してしまう。

 

計算と同じだ。簡単な計算なら暗算で済むが、ある程度複雑になったら紙とペンが要る。好んで筆算をする人間はいない。必要だからする。僕が文章を書くのはそれと同じだ。

 

歯磨きに例えてもいい。歯を磨くと気持ちいい。磨かないと気持ち悪い。それで人は歯を磨く。だからと言って「私は歯磨きが好き」とは言わない。僕にとっての書くこともそんな感じだ。好きだからしているわけではない。しないわけにはいかないからしているだけだ。

 

書かないでいると、すべきことをしていないように思える。僕は毎日欠かさず、何時に起きて、何時に散歩に行って、何時にご飯を食べて、何時何分発の電車でどこへ行って、何時に寝た、ということをノートに記録している。いわゆるライフログノート。もう何年も実践している。こういうことを書かないと、時間が飛んで過ぎていったように感じて嫌なのだ。

 

僕にとって書くことは苦しい。心も体も消耗する。でもそれはやめられるものではない。僕は書かない自分を愛せない。だから書く。苦しいけれども書いていたい。

 

***

 

自分のために書くのだから、人様に公開する必要はない。でも公開して広告を貼り付ければお金が入る。だからこうして公開している。

 

僕は注文を受けて書くのが苦痛なのだ。書きたくないものを無理に書きたくない。というか書けない(やってみたが続かなかった)。だからひたすら自分のブログで好き勝手書くしかない。子供の小遣い程度しか得られなくても、稼ぐための文章を書けないのだから、それを続けるほかない。

 

僕はお金を稼ぐことにどうしても魅力を感じない。お金を稼いでも使い道がわからないのだ。欲しいものも行きたいところもある。でも、お金を稼いでまで成就したいものではない(労働だろうがせどりだろうが、お金を稼ぐ作業は、どうしてこうもつまらなくて苦痛なのかと感じる。こんな苦役を経てまで得たいものなど、そうそうない)。

 

僕にとってお金は、あれば使うが、なければ使わない。そういうものでしかない。

 

特に面白いことをしたい欲求もない。僕は穏やかに暮らしたいだけなのだ。隠居のように暮らしたいだけ。寝たいだけ寝て、お日様を浴びながら散歩して、ゆっくりご飯を食べる。睡眠、飲食、排泄を妨げられない生活が送れれば、それでほとんど満足だ。

 

(労働ってやつは、すなわち会社ってやつは、こんな生の基本を妨げるのだから耐え難い。水分補給やトイレに行く自由すらない環境など、生き物として扱われていないと感じる。こんなものを後世に残してはいけない。)

 

起きて、散歩して、食べて、ネット観て、本読んで、寝る。それ以外でしたいことはない。ただ少しは生産したいから書く。それだけだ。淡々と書いていきたい。


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山奥ニートは無理だけど

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(西武秩父線の車窓。和歌山の山奥の写真を持っていないため代用)

 

山奥ニートというのが話題だ。山奥に住んでいるニートはみんな山奥ニートなのかもしれないが、この記事ではNPO法人共生舎の葉梨はじめさんと、その周辺に住む仲間たちと定義する。彼らは和歌山の山奥に住んでいる。

 

山奥ニートになる理由はいろいろあるだろうが、葉梨さんは元ひきこもりだそうだ。そこから山奥生活に飛び込んだ。

 

現代日本社会に適応できない僕には他人事ではない。

 

***

 

僕は上記NPOにメールを送ったことがある。訪問したいが、いつなら都合がいいかと尋ねた。しかしいくら待っても返事は来なかった。迷惑メールフォルダにでも入ってしまったのかもしれない。

 

本当に行きたければ電話をかければいいのだが、メールの返事を待つうちに興味を失ってしまった。だから返事が来たとしても行かなかっただろう。

 

まず遠すぎる。「遠い」という感覚には個人差があるが、僕の場合は在来線で2時間ぐらいが限度だ。南関東+北関東の南部、交通費は片道1500円ぐらいまで。自宅以外で寝たくないので、日帰りで済むところでないと嫌なのだ。

 

僕は親と同居することにウンザリしているが、同時に親から離れることへの不安も大きい。理想は実家近くの別の家に住むことなので、和歌山はあまりにも遠すぎる。

 

しかも共生舎は最寄り駅から車で1時間半もかかるという。僕は乗用車の閉塞感が苦手で、長時間乗るのは苦しい。バスなら少しはマシだが、都会とは事情が違う。都会ならどこで降りても人がいるが、山奥では違う。僕は人がいないところが怖いのだ(人と接するのが苦手なのに人がいないと怖い。この辺の感覚は微妙で難しい)。

 

***

 

僕は健康に自信がない。近くに病院がないと不安になってしまう。あと山が迫っている場所にいると息苦しさを感じる。

 

虫も苦手。田舎では家の中でムカデが出るという。夜中に布団に入ってきて噛まれることもあるとか。僕はムカデを見たことがないのでググってみた。想像以上の気味悪さでゾッとした。

 

カブトムシもセミも触ったことがない。カブトムシは頑張ればつつくことぐらいはできそうだが、セミは絶対にダメだ。気持ち悪すぎる。

 

***

 

葉梨さんはブログで獣を捕まえてから料理するまでを写真付きで紹介している。僕には絶対に無理だと思った。正視さえできない。こんなことをやれる人がひきこもりだったなんてウソのようだ。僕もひきこもり系だが、別の人種のように思える。

 

イノシシだのシカだのの肉も、調理済みであれば食べられるかもしれない。でも、それらの生肉を目にしなければならないような環境なら、僕にはきつい。

 

僕はスーパーで売られている魚や生肉すら気持ち悪くて正視できない(切り身でも皮が付いているとダメ)。折込チラシのカニの写真にすら鳥肌が立ってしまう。

 

***

 

車に長時間乗れず、山に囲まれると閉塞感を覚え、病院がないのが不安で、虫も苦手で、魚や生肉を正視できない。

 

悪い条件が重なりすぎている。行ってみなければわからないことではあるが、現時点では山奥生活に向いていないように思える。

 

***

 

とはいえ、逃げ場の選択肢としては持っておくべきだと思っている。和歌山の山奥には、数年前からphaさんや、ひきこもり名人の勝山実さんなども足を運ぶ。彼らが通うのは「共育学舎」というところで、葉梨さんたちとはまた別の場所だが、現代日本社会に適応できない人の居場所になっている点で共通している。いずれも駆け込み寺として覚えておきたい。

 

山奥暮らしは無理でも、実践者の言動の中から、都会暮らしでも活かせるものを見出し、取り入れていくことはできると思う。山奥ニートというものについては、そんな感じで接していきたい。


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親との同居は無理がある

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僕は32歳の今まで実家から出たことがない。年収は65万が最高。一貫して親と同居し、親に養われ続けている。

 

そんな僕が言うのも何だが、大人になったら親と同居すべきではないと思う。遅くとも30歳になる前には実家を出た方がいい。親との同居期間が長引くほど、親のことが嫌いになっていく。

 

少なくとも僕の場合はそうだ。親のやることなすことに腹が立つ。とても邪魔だと感じる。僕が常に体調不良なのも、親との同居によるストレスのためだと思っている。

 

親と子は対等ではない。必ず上下関係だ。封建時代のようにあからさまではないが、間違いなくある。目に見えない圧力が、日々子供を苦しめている。

 

どんな親も完璧ではない。必ずミスをする。そのミスを子供は忘れない。それが親への恨みになる。それは同居を続けるほど積み重なっていく。

 

親が無職の子供に向かって「働け」と言い、傷害事件に発展することがある。僕は暴力を憎んでおり、これを犯した者は罰せられるべきと考える。でもこの件については、親の無神経も責められるべきだ。それほどまでにひどいことを言ったということなのだ。人も職場も紹介せずにただ「働け」とは、自分の感情をぶつけているだけだ。教育でもしつけでも何でもない。

 

親は子供を大切に思うから養い続けるのかもしれない。でもそれでは親がいないと何もできない人間をつくるだけだ。そして親は先に死ぬ。残された子供はどうなるのか。代わりに誰かが養うことになる。親が子供を巣立ちさせないと、厄介者を人に押し付ける結果になるのだ。

 

「有無を言わさず追い出せ」という意見がある。でもそれで精神を病んだらどうするのだろう。再起不能ということになれば、追い出す前よりずっと悪い。ではどうしたらいいのか。

 

親は子供に部屋と食事を与えている。それならいっそアパートを借りてやり、生活に必要なお金を渡し、あとは自分で暮らせと言って突き放すのがいいように思う。はじめは大金が必要だが、少しずつ援助額を減らしていくことで、子供の生きる力を育てていけるのではないか。ダメ元でもやってみる価値はあると思う。

 

少なくとも僕はそうしてほしい。とにかく親と同居していたらダメだ。僕は親と同居していることが苦しくて仕方がない。でもそれ以外に生きる術がないから、我慢して生きている。こんな状態、僕にとっても親にとっても不幸だ。

 

実家そばのアパートを借りてもらえたらなあ。そして月々必要な生活費をもらえたらなあ。僕はそうやって一人で生活してみたい。もう両親と一緒に暮らすのは疲れた。30代の子供が60代の老親と暮らすのは無理がある。

 

あとはシェアハウスだ。家電や家具などをそろえる必要がないから、初期費用はアパートより安く済む。僕は集団生活に抵抗があるが、住んでみたい気持ちもある。

 

***

 

ただ、僕には上記のことを親に頼む勇気がない。この先のことは知らないが、これまでの我が家は、しょっちゅう借金の話が耳に入ってくる家庭だった。頼めるような空気ではない。父の逆鱗に触れるのが怖い。

 

親に頼る以外の道を考えよう。

 

***

 

僕は女性に養われたい。

 

皿洗いや洗濯は日常的にやっている。米を研いで炊くこともできる。掃除機もかけられる。単に養われるだけというのは申し訳ないので、できることはやりたい。

 

酒も飲まずタバコも吸わずギャンブルもやらず、女遊びもグルメの趣味もない。コレクターではないので物で場所を取ることもない。人を殴ったこともないから暴力の心配もいらない。167センチ45キロのもやしっ子だから、女性の方が強いケースすらありそうだ。

 

僕には姉がいる。それもあってか、男が上とか偉いとかいった考えがない。また女性への過度な期待もないように思う。

 

困るとしたら、消極的だったり、おとなしすぎたりといったことだと思う。助けてもらえたら嬉しい。


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大泉学園に来ると、そんなことばかりが思い出される

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先日、所用で練馬区の大泉に行った。東映撮影所や東映アニメーションがあることで知られる。最寄り駅は西武池袋線・大泉学園駅。

 

僕は高校時代、この駅を利用していた。駅前のレンタサイクルの自転車で、4~5キロ離れた埼玉県和光市の高校まで通っていた。

 

***

 

高校1年の9月から学校に行けなくなった。駅前のマクドナルドは逃げ場のひとつだった。ここでクラスメイトから「何で学校来ないの?」というメールが来て深く傷ついた。無神経なやつだと未だに思う。

 

学校には欠席の連絡をしないといけない。ところが僕は電話が大の苦手だ(今も変わらない)。そこでコンビニのファックスを利用することを思いついた。欠席する旨を書いた紙を差し込み、電話番号を入力した。しかしなぜか送信できない。何度試してもダメ。結局、電話で連絡する羽目になった。そのコンビニも、今はもうない。

 

駅から1キロほどのところに、T・ジョイSEIBU大泉という映画館がある。2016年まではT・ジョイ大泉という名称だった。僕が大泉学園駅を利用し始めた時には、まだ建設中だった(2001年12月に開館した)。時々そばを通っては、早く完成しないかなと思ったものだ。映画は観なかったが、2階のトイレやTSUTAYAはよく利用した。

 

隣接しているリヴィンオズ大泉もよくブラついた。いわゆる大型商業施設。学校に行かなきゃいけないのに行けない。苦しい思いを抱えながら歩き回った。今も残る店外の白いベンチに、僕はよく腰掛けた。もちろんいつも一人だった。

 

あとは大泉中央公園。埼玉県との境にある。住所こそ大泉だが、もはや東武東上線の和光市駅の方が近い。僕が通っていた高校はもう目と鼻の先だ。ここまで来ても僕は学校に行くのがつらくて、足が止まってしまう。

 

園内の丘にポツンと座り、ボンヤリと過ごした。その頃はキリスト教に惹かれていたので、小枝で小さな十字架をつくって祈ったりした。神様、僕はどうすればいいのですか……。

 

その後、不登校になり、大泉に来ることもなくなった。

 

***

 

しかし20代半ばになって、大泉との縁が復活した。アニメ「プリキュア」が好きになり、その映画を観るために来るようになったのだ。公開は半年に1度。その都度、足を運んだ。

 

「プリキュア」のほか、「まどか☆マギカ」「ガールズ&パンツァー」「ラブライブ!」(すべてアニメだ)もここで観た。都心から離れていて、しかも最寄り駅から10分以上歩く立地のため、あまり混まない。そんなところが気に入って、好んで来るようになった。

 

***

 

所用を終えて、駅に戻ってきた。

 

ホームのベンチに腰を掛けると、学校に行くのが嫌で、電車を何本も見送った記憶がよみがえってきた。

 

大泉学園に来ると、そんなことばかりが思い出される。


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16歳の夏、初めての一人旅(小岩井農場・伊東編)

※この記事は下記の記事の続きです。

 

***

 

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(JR伊東駅)

 

旅の2日目は、盛岡駅からバスで小岩井農場へと向かった。

 

ここでは乗馬を体験した。馬場の外で見知らぬ人にカメラを渡し、僕が近くに来たら撮影してほしいと頼んだ。何て厚かましいお願いだろう。よくできたなと思う。若さゆえなのか。

 

***

 

夕方、新幹線で東京へ。事前に予約しておいた大塚のビジネスホテルに向かった。予想以上に古くて暗くて嫌な感じがした。フロントには老婆とその息子と思われる男性がいて、ふたりとも覇気がなく陰気だった。

 

部屋に入って布団をめくると、黒いゴキブリが出てきた。僕は「もうこんなホテル無理」と判断し、カウンターに向かった。「突然親から連絡が入り、帰らなければいけなくなった」と嘘をつき、ホテルを出た。

 

さて、どうしよう。もう夜の9時を過ぎていた。ガイドブックを開き、巣鴨のビジネスホテルに電話した。空室ありとのこと。助かった。今度はきれいなホテルだった。7000円いくらかだったかと思う。

 

ただ寝るだけなのだから割高だ。でも仕方がない。2001年にインターネットでホテルの予約はできたんだろうか。まだそこまで進歩していなかったんじゃないか。たとえできたとしても、16歳が知っている時代ではなかった。

 

***

 

朝は7時に起きるはずだったのだが、40分ぐらい寝坊した。そのため朝食は食べずに出発。巣鴨から新宿に移動し、スーパービュー踊り子号に乗った。座席に端子があり、イヤホンを差すとラジオが聴けた。ハイテクだなあと思った。

 

伊東で下車した。駅前にソテツの木が植えられていて、南国ムードが漂っていた。海水浴場まで歩き、上半身裸になって砂浜に寝転んだ。僕は色白なのだが、当時はそれが嫌で日焼けしたかったのだ。

 

数時間じっくり焼いた後、銭湯へと向かった。風呂に入って初めて、僕は体を焼きすぎたことに気付いた。痛くて湯船に入るのが大変だった。

 

洗い場に向かうと、腰掛けがない。周囲の人は地べたにあぐらをかいていた。嫌だったが仕方がないので真似をした。まったく参った。

 

しかしそれ以上に参ったのは、隣りのおじさんが体中に入れ墨をしていたことだった。怖いので関わらずに済ませようと思ったのだが、「石鹸持ってないの?」と話しかけられてしまった。

 

はいと答えると、貸してくれた。それをきっかけに会話が始まった。見た目は怖かったが、中身は普通の人で安心した。おじさんは「自転車で日本一周でもしているのか」と聞いてきた。僕はそう思えるぐらいに日焼けしていたのだった。

 

***

 

旅はこれで終わり。あとはまっすぐ埼玉の自宅に帰った。

 

日焼けは重症で、ヤケドと言っていいぐらいだった。肌の色は小麦どころか紫がかっていた。シャワーもつらく、ぬるま湯をチョロチョロと浴びることしかできなかった。シャツがこすれるのが痛くて、日常生活に大きな支障があった。皆さんも肌の焼き過ぎには注意してほしい。

 

***

 

これ以降、僕は泊まりの旅を一度もしていない。はっきりとした理由はわからないが、おそらくこの旅がそんなに面白くなかったからだ。もし面白かったのなら何度もやるだろう。

 

この旅から間もなく、僕は不登校になった。親に怒鳴られ教師になだめすかされ、何とか進級し、保健室登校など低空飛行を続けたが、2年の秋からは完全に行けなくなった。

 

それからはアルバイトもできず、近所の市立図書館にひきこもるだけの日々が始まった。友人・知人ともに皆無、行くところもなく、インターネットもない。どこまでも孤独で、ただただ本を読むしかなかった。鬱憤はひたすらノートに書き綴った。そんな生活が大学に入学するまで続いた。

 

この旅は、暗黒時代前夜の、最後の楽しい時間だったのだ。


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