30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの33歳。働けない、稼げない、人と接するのが苦手、実家ぐらしが苦しい。noteで1日1記事投稿しています→https://goo.gl/Jrkznz

会社よ、人間は体調不良が当たり前なのだ

f:id:agiru64:20190816074803j:plain

僕は会社という組織になじめない。会社というところでは自分を大切にできない。会社では疲れたら休むということができない。適宜休憩をとっていい会社もあるとは思うが、食事以外で30分も休憩していたら叱られるだろう。でもその日の体調によっては30分でも1時間でも回復しないことはある。

 

会社に所属すると、出勤時間が指定される。もっと寝ていたい日でも起きないといけない。もう帰りたいと思っても、退勤時間が決まっているから帰れない。体の声に従うことができない。

 

僕が特に問題にしたいのは、体調が悪くても休みにくい点だ。良識的な人なら「健康は何より大事だから無理せず休むべき」と言うだろう。しかし会社というところは、自分が休むことで他の人間の仕事が増える仕組みになっている。このため、かなり休みにくい。

 

僕はよく体調が悪くなる。だいぶ困っていて、何とかならないものかと悩んでいる。しかし人間は生身なのだから、それで当たり前とも思う。それなのに、どうも会社というところは、体調不良が起きないのが当たり前だと思っている。僕にはこれがかなりきつい。

 

欠勤の連絡なんてしなくて済めばいいのに。出勤が基本になっているから、欠勤の連絡が必要になるのだ。出勤なんてできるほうがすごい。僕はできないのが普通だと思っている。

 

たまに調子がいい時があったら出勤する。僕にとってはこれが自然だ。これでいいなら勤められそうだが、会社というところは、そうなっていない。会社というところは、健康人間でないと生き残れない組織だと感じる。だから僕は勤めることができない。

 

***

 

【誕生日記念ポルカ実施中】

https://polca.jp/projects/BevgJmdP3Mv

34歳まで生きられた自分を祝いたい。

 

【筆者の活動】

購読者限定日記:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

ツイッター:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

夏の日中は出歩きたくないのに

f:id:agiru64:20190810071749j:plain

運転免許の更新に行かないといけない。

 

9月20日までに警察署に行く必要がある。僕は夏の日中には出歩かないようにしている。だから夜に行くことにしよう。熱中症が怖いから。

 

ところが、そうはいかない。更新手続きは日中にしかやっていないのだ。受付時間は午前8時30分から午後3時30分まで。何ということだ。夏の日中に行くしかないではないか。どうしたものか。

 

警察署は自宅から自転車で15分ぐらいかかる。真夏の日中に15分も自転車に乗ったら、熱中症になってしまうかもしれない。

 

電車とバスを使おうか。いや、駅やバス停までの移動中に熱中症になる危険性がある。熱中症を確実に阻止したいのであれば、自宅前にタクシーを呼ぶしかない。

 

タクシーだと片道1200円ぐらいかかりそうだ。往復2400円。そんなお金はない。あったとしても、お金のかけすぎだ。9月20日までに涼しい日があればいいのだが。

 

免許の更新は誕生日の1ヶ月前から1ヶ月後までにすることになっている。僕は8月20日生まれだから、7月20日から9月20日の間だ。全期間が夏である。何ということだ。

 

子供時代、誕生日で損をしたと感じることはほとんどなかったのに、大人になってそう感じる事態が生じてしまった。

 

なお、免許取得から10年経ったが1度も運転したことがない。完全なペーパードライバーだ。

 

***

 

【関連記事】

 

【誕生日記念ポルカ実施中】

https://polca.jp/projects/BevgJmdP3Mv

34歳まで生きられた自分を祝いたい。

 

【筆者の活動】

購読者限定日記:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

ツイッター:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

3年後も、自分を大切に

f:id:agiru64:20190810062958j:plain

3年後に自分はどうなっていたいか考えましょう。

 

自己分析本などによく書いてある。そこでちょっと考えてみた。まぁ、ダラダラと暮らしたい。のんびり暮らしたい。

 

たくさん寝たい日はたくさん寝る。あまり寝たくない日はあまり寝ない。そういうことを自分の思う通りにやりたい。仕方なく早く寝て、仕方なく早く起きる。そういうことはしたくない。眠くなったら寝る。起きたい時間に起きる。体が欲するように生きたい。

 

親に気兼ねする日々はしんどい。だからできたら実家からは出たい。でも、何としても出たいという強い思いは湧かない。家事をやってもらえるというメリットを考えれば、最悪というほどでもない。

 

3年後も同じように生きているのだろうなぁと思う。しかし親は既に60代後半だ。介護が必要になるかもしれない。あるいは自分が病気で動けなくなることも考えられる。そうなったら生活は嫌でも変わる。

 

自分から何かをしなくても、環境は変わっていく。だからそんなに自発的に動かなくてもいいのではないか。とにかく今は暑い。できる限り動かず、エアコンの効いた部屋でおとなしくしていよう。動くとしても秋からだ。30度を超える日に、用もないのに外出しても体に悪い。自分を大切にしていきたい。

 

***

 

【誕生日記念ポルカ実施中】

https://polca.jp/projects/BevgJmdP3Mv

34歳まで生きられた自分を祝いたい。

 

【筆者の活動】

購読者限定日記:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

ツイッター:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

最近すっかり出かけなくなってしまった

f:id:agiru64:20190801204915j:plain

最近すっかり遠くに出かけなくなってしまった。以前は電車でいろいろなところに行ったのに。お金がないと言うのもあるが、何だか行く気が起きない。

 

毎日出かけていると、出かけないことが許しがたくなる。出かけない日があると、無駄な一日を過ごしたと感じてしまう。だから無理やり出かける。出かけるまでがしんどいが、出かけてしまえばそれなりに楽しい。一日の終わりに「いい一日だった」と感じることができる。

 

ところが何日も出かけないでいると、出かけないことに慣れてくる。近所をブラブラするだけで気が紛れる。それでいいと思うようになる。

 

時々それも飽きて、また毎日出かけるようになる。そうすると、また出かけない一日は無駄な一日と感じるようになる。このくり返しだ。僕には乾期と雨期のように、出かける時期と出かけない時期がある。

 

今は出かけない時期になっている。あまりに暑くて出かけられない。1日中家にいるのはウンザリするので、夜にちょっと散歩に出かける。ただし夜でも暑い。

 

僕が住んでいる地域は、夜中でも27~8度、湿度80%なんて日がザラだ。10分ぐらい歩くと、あまりの蒸し暑さでめまいがしてくる。1回の散歩で2000歩ぐらいにしかならない。

 

基本的に歩きながらツイキャス配信をしている。ツイキャスをやりたいという気持ちが、僕を外に連れ出してくれる。自室で配信すると親に聞かれる。親が部屋に近づくたびに黙らないといけない。それが煩わしくて、外での配信がデフォルトになっている。

 

配信をした後、それをYouTubeに転載している。映像なしのラジオではあるが、動画を投稿したという形になる。これが良い。今日は何もしなかったわけではない。動画を一本投稿した。成果を残した。そういう気持ちになれる。

 

こんな感じの日々を過ごしている。

 

***

 

【誕生日記念ポルカ実施中】

https://polca.jp/projects/BevgJmdP3Mv

34歳まで生きられた自分を祝いたい。

 

【筆者の活動】

購読者限定日記:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

ツイッター:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

僕が不適応者のロールモデルになる

f:id:agiru64:20190707003059j:plain

どうしても雇われ労働をしたくない。あまりにもしたくないために応募ができない。

 

雇われ労働が無理なら、それ以外で稼ぐしかない。何をやればいいのかはわからない。ただ雇われ労働でないことだけは確かだ。決められた時間に決められた場所に行き、決められた時間働くということが、僕にはとても苦しい。無理にやると心と体がおかしくなってしまう。

 

ひきこもりやニート支援の本をよく読む。「A君はアルバイトができるまでになった」「Bさんは今、正社員として働いている」などという結びが多い。つまり「雇われ労働に適応できました」という報告だ。それが何だというのか。成果を挙げたと言いたいのか。

 

支援者はひきこもりの人に「まずは玄関まで行ってみましょう」などと指示する。これができたら「次はコンビニに行ってみましょう」。そこまではいい。でも彼らが目指すゴールは、ひきこもりを会社で働かせることなのだ。玄関に行かせることも、コンビニに行かせることも、最終的に会社に適応させることが目的だったのだ。

 

会社なんてものが合わなくて避難したのに、またそこへ戻ることが、果たして良いことなのか。会社で苦しんだ人間が、会社に戻るだけで良いはずがない。体や心が拒否した環境に人を戻すことが、果たして支援なのか。

 

本人が雇われ労働に満足しているのであれば言うことはないのかもしれない。しかし本人がそう言ったからといって、それは本当に彼・彼女の欲求なのか。

 

会社勤めが無理な人間を会社に戻すことが良いこととされている。ひきこもり本人さえそれを希望する。なぜかといえば、それ以外の生き方が事実上ないからだ。確かに自営という道は存在するが、遠くの世界のできごとというのが実際の感覚だろう。それぐらい、雇われ労働以外の生き方を想定しにくい世界に、僕らは生きている。

 

何とかしたい。僕が雇われ労働をせずに生きて、不適応者のロールモデルになりたい。僕自身の幸せのためでもあるが、他の不適応者を救いたいという思いもある。

 

僕が雇われ労働の苦痛をこらえ、そこに踏みとどまって生きてしまったら、僕が不幸であるだけでなく、後の世代にもこの生き方を残すことになる。僕の姿を見た子供が僕の真似をする。その子供の子供がまた真似をする。こうして不適応者の苦しみは後世に続いていく。

 

雇われ労働に向いていない人が、無理やり会社で働く。「会社→ひきこもり→会社→ひきこもり」とくりかえす。そうまでしてなぜ会社に戻るのか。それ以外の道がないからだ。希望して戻っているのでない。こんな苦しみは僕の世代で終わりにしたい。

 

雇われ労働が無理なら自営だろう。僕はこれまでに、せどり・ライティング・ポイントサイト等で挫折してきている。向いていないし、無理なのだろうという思いが強い。それでも雇われ労働がダメな以上、自分で稼ぐという方面を目指すほかない。

 

雇われ労働で給料をもらってもあまり喜べない。「あんなに苦しんだのだから、これぐらいもらえて当然だろう。これでも足りないぐらいだ」と思う。一方、ブログやnoteで記事を書いて得たお金は少額でも嬉しい。だから僕は、できたら自分で稼ぎたい。

 

ブログで月に何万も稼ぐのは無理だ。せどりもポイントサイトも挫折した。いくら自営のほうが喜びが多いといっても、僕が稼ぎ出せるのは月に数千円。とても足りない。やはり雇われ労働からは逃れられないのか……。

 

「そんなことはない」と僕は書きたかった。しかしその根拠を示すことができない。不適応者が、自分の心や体を、現行社会に合うように変形させることが生き残る道だとは、どうしても言いたくない。

 

「雇われ労働が無理だった。だから今、こうやって生活費を稼いでいる」

 

このように、身をもって示せるようになりたい。

 

【筆者の活動】

購読者限定日記:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

ツイッター:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

ブログを気軽に更新していきたい

f:id:agiru64:20190706193628j:plain

ブログの更新頻度がめっきり減ってしまった。これではいけない。元々僕はお金を稼ぐために書き始めた。ポジ熊さん(はてなブロガー)の記事に触発されたのだった。貧乏から抜け出したいなら、その思いをブログに書いて収益をあげようという内容だった。

 

元々自分のことを書くのは好きなので、記事を量産することができた。はじめは自分しか読まなかったが、徐々にアクセスが増えていった。

 

大きな転機となったのは、えらいてんちょうさんがツイッターで僕のブログを紹介したことだ。時は2017年11月。彼は生活保護の記事で既に有名になっていた。彼が「結構おもろいブログ発見した」と僕のブログを紹介した日、アクセスが急増した。

 

その時の僕は、このツイートのことを知らず、アクセス急増の事実だけを知った。大きな掲示板に晒されてバカにされているのではないかと思い、寒気がしたのを覚えている。

 

このフィーバーは一時的なもので、数日後にはそれまでのアクセス数に戻っていった。しかし、その後もえらてんさんは、僕のブログのファンだと言って、時々宣伝してくださった。そのたびにアクセス数は大きく伸びた。

f:id:agiru64:20190706201756p:plain

(えらてんさんが一度宣伝するだけで、これだけアクセスが増える)

 

これも数日で元に戻ったのだが、長いスパンで見ると、読者は少しずつ増えていった。多くの人に読まれ、文章を褒められるようになった。リアルで会った人に「読んでますよ」と言われるケースも出てきた。

 

このこと自体は嬉しい。しかしここで問題が生まれてしまった。「次もうまいと言われる文章を書きたい」と力むようになってしまったのだ。それから僕は推敲に数日かけるようになってしまった。

 

そしてついに月に1度さえ更新できなくなった。いかに評価されようとも、こんなに更新が少なくてはアクセスも収益は減るばかりだ。何とかしたい。

 

えらいてんちょうさんの著書に『しょぼい起業で生きていく』というのがある。

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

 

 

そうだ、このブログだって「しょぼい起業」なのだ。しょぼい起業なのに、大手メディアの記者のような気持ちで書いていた。

 

もう少しラフな記事を書いていきたい。一応読めるレベルのものができたら投稿する。僕にとってはラフだが、一般的にはある程度推敲したと思われる文章になっているはずだ。完璧主義者は、少し手を抜くことでちょうどよくなる。気軽に更新していきたい。

 

【筆者の活動】

購読者限定日記:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

ツイッター:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

近所を歩く会を開催した

f:id:agiru64:20190706001209j:plain

歩く会を実施した。ツイッターで他の人がやっているのを見て「所沢(※僕の住む街)を歩く会だったらやります」と書いたところ、申し込みが2件来たため、開催する運びとなった。まさに「瓢箪から駒」。

 

 

第1回は6月22日。新所沢駅に19時集合。参加者は前回記事にも登場した岡田真大さん。はじめは小雨だったが、徐々に本降りになっていった。僕が気に入っている場所をあちこち紹介した。何だか不動産屋みたいだと思った。

 

1時間ぐらい歩いて、映画館のロビーへ。普段使っている英語の参考書やノートなどを見せた。

 

本当はファミレスやファーストフードなどに行くのが良いのかもしれないが、僕はそのお金が出せないほどに貧しい。さすがに100円程度なら出せるが、お金を払うと、しばらくいないともったいない気がしてしまう。5分で出たくなっても、もったいないと思って長く滞在してしまう。有料の居場所は、このような束縛をもたらす。

 

第2回は6月29日。今回の参加者は移動式さん。この日も雨だった。1週間前と同じ時間に集合して、同じコースを歩いた。

 

2回とも滞りなく終えることができた。会話も楽しかった。しかしもう新所沢を歩く会はやらないつもりだ。街の紹介に飽きてしまったからだ。観光ガイドの仕事をしている人は、しんどくないのだろうか。

 

次は所沢を歩く会をやろうと思っていたのだが、気が乗らなくなってしまった。知っている街ではダメだ。きっとまた街の紹介をやってしまう。「この建物は」「この道は」と説明ばかりしてしまう。

 

それも悪くはないのだが、どこか後味が良くなかった。せっかく会話を楽しむチャンスなのに、街の情報ばかり話してしまう自分に不満を感じる。誰にも頼まれていないのに、どうしてもやってしまう。

 

もし次に歩く会をやるとしたら、僕が観光ガイドにならずに済むところがいい。相手がガイドになるのも悪くはないが、一番いいのは双方がよく知らない土地だ。2人で未知の景色を共有する。僕には街よりも知りたいことがある。

 

【筆者の活動】

note:https://note.mu/agimuse/m/m473817a36ecb

Twitter:https://twitter.com/agimuse

ラジオ:あぎるラジオ - YouTube


スポンサードリンク
 

スポンサードリンク