30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの33歳。働けない、稼げない、人と接するのが苦手、実家ぐらしが苦しい。noteで1日1記事投稿しています→https://goo.gl/Jrkznz

「不適応者のゴロ寝」を開催した

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夕方、自転車で近所の公園へ。芝生にシートを敷き、ゴロンと横になった。今日は「不適応者のゴロ寝」開催日。

 

不適応者が集まって語り合う「不適応者の居場所」からヒントを得た。会場ではずっとコミュニケーションを続ける人たちもいる。しかし僕の場合は2時間ぐらいで疲れてしまう。寝転がって目を閉じたくなる。人の中にいて、誰も自分に話しかけない状態になりたかった。

 

「不適応者のゴロ寝」はそういう願いから生まれた。人が集まってただ寝転がる。おしゃべりもしない。寝てもよし、空を眺めるもよし、読書もよし、スマホもよし。各自自由に過ごす。僕とあなたは近くで寝そべっているだけの他人。

 

事前に告知を出したものの、申込みはなかった。

 

草むらで横になってツイッターを眺めていると、「これから行く」という主旨のリプライが来た。「不適応者の居場所」で知り合った岡田真大氏だ。僕よりもずっと若い青年。19時から20時頃にかけて、二人でゴロ寝をおこなった。

 

数メートルあけて横になる。会話もしない。各々寝るか、ボーッとするか、スマホを見るか。気楽だった。

 

誰かといるけど、いないに近い。でもいないのとは違う。一人でいるのと、誰かといるのとの中間。寂しくなくて、疲れない。居心地が良かった。

 

今回の会場は埼玉県の所沢航空記念公園。僕の家から近いという理由で選んだ。参加したいけど遠くていけないという人もいただろう。そういう人は、自ら何か企画してみてほしい。いろいろな場所に住んでいる不適応者が、それぞれの近所で集まる。

 

自分が主催者であれば、自分が苦手なことはしなければいい。人に会いたいけど話したくないというのなら、そのようなイベントにすればいい。今回僕がやったように。

 

なお、今回参加してくださった岡田さんは、後日同じ趣旨のイベントを開いた。参加者もいて、成功だったようだ。

 

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働けなくてもできること

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働くことができない。しかし無理にでも働いてお金を稼ごうという気持ちはある。

 

コンビニ店員、清掃、倉庫作業、ポスティングなどが思い浮かぶものの、これらはかつて、つらくて辞めた仕事だ。またやろうという気持ちにはなれない。

 

我慢して応募することを考える。しかしそれで採用されたとして、続くものだろうか。吐き気、腹痛、下痢、めまいなどに見舞われて出勤できなくなった過去がよみがえる。

 

前職だけがそうだったなら、別の仕事を選べばいい。ただ僕の場合は前職も、その前も、そのまた前も、なのだ。

 

年齢とともに、嫌なことを我慢する力がなくなっていくのを感じる。小中学生の頃など、部活も行事も嫌だったが、耐えて参加することができた。高校は不登校になってしまったものの、通信制に転校して、レポートや通学(週に一度)をきっちりこなした。大学も然り。卒業後はフルタイム労働はできなかったが、パートタイムなら何とかやれた。

 

20代後半からは身体症状が出るようになってしまった。他人に忍耐を強いる人は多いが、僕はもうそれに従うことができない。体調不良を押してまで労働するということは、自分に対するいじめであると思えてならない。他人へのいじめが醜いことは常識だが、それは自分に対してであっても同じだと感じる。

 

働けないということは「信念」でも「決意」でもない。単純に「無理」なのだ。目が回って立っていられない、胃が痛くて歩けない。そんな状況では、寝ていることしかできない。

 

薬を飲んで症状を抑えるという手はある。でも働かないことによって症状が和らぐのだから、働かないのが最善だろう。

 

「働こうとすると体調が悪くなる」という表現は正確ではない。苦痛に接すると体調が悪くなるのだ。だからもし苦痛でない仕事があれば、おそらく体調不良は起きない。

 

どうしたらそういう仕事に出会えるか。仕事というのは体験しなければわからないのだから、次々に新しい仕事に飛び込み続けるしかない。

 

そうは言っても、10個の仕事をして10個とも苦痛だったのに、「さあ11個目の仕事を探そう」と考えるのは難しい。それこそ体調不良によって体が拒否する。

 

決まった時間に出勤しなければならない、誰かと一緒に働かなければならない、といったことがつらい。それならば在宅ワークだと考えて、せどりやらライティングやらもやってみたが、内容に興味がないせいで続かなかった。出品・梱包作業のつまらなさ、書きたくもないことを必死に書いて受理されなかった時のやりきれなさ。忘れがたい。

 

もはや生活保護しかないのだろうか。しかしこれは望んでいない。申請するためにはまず実家から出ないといけない。それがまず難しい。僕は精神的にも親に依存しており、親なしの日々を想像するだけで不安に押し潰されそうになる。親元を離れたら誰も親のようには助けてくれないし、親のように助けてくれる人なしに僕は生きられないだろうという思いがある。

 

それに、もし実家を出て困窮している単身世帯と認められ、その結果申請が通ったとしても、それでゴールではない。結局そこから経済的自立を目指すことになる。実家暮らしをしている現在と、すべきことは変わらない。

 

では、何をしたらいいのだろうか。その答えを僕は持っている。「できることをやる」だ。それしかない。できないことはできないのだから、できることをやる以外ないじゃないか。

 

具体的には何か。気になる人は僕のnoteなりTwitterなりラジオなりを追っていくといい。その時々で、思い付いたことを書いたり言ったり実行したりしている。それらこそが、僕の「できることをやる」にほかならない。

 

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無理せず人と関わっていきたい

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2018年4月にポスティングを辞めてから、ほぼ1年がたった。この間、特に職には就かなかった。

 

現代日本では、学校や職場以外の人付き合いが乏しい。それらから離れた途端に人とのつながりがなくなる傾向がある。僕も例外ではない。

 

しかし元々人と接するのがつらい人間なので、既存の団体に入っていくことは難しい。そこで、自分でイベントを開いてみた。しかし4回やったところで疲れてしまった。イベントの主催はしんどいということがわかった。

 

何がしんどいのか。特定の時間に特定の場所に行かなければいけないことだ。前日から憂鬱で仕方がない。当日は何時間早く起きても、時間を守ることが苦痛すぎて、本当にギリギリにならないと動き出すことができない。しばしば吐き気やめまいが起こる。体が人と会うことを拒んでいる。

 

こんな具合だから、人と会う前から疲れ切ってしまい、会場に着く頃には、戦を終えた兵士のようになっている。

 

***

 

僕が開いたのは「もくもく会」というイベントで、喫茶店等に集まって、それぞれが自分の作業をするだけの会だ。人と話す必要がない。

 

それでも僕にはきつかった。他人が近くにいるだけで緊張し、意識がそちらに行ってしまう。ノートパソコンを持参して記事を書いていたが、気が散ってしまい、効率は非常に悪かった。 

 

近くに人がいても、無関係の人間ならそれほど気にならない。しかし僕のイベントに来た人は「関係しなければいけない人間」だ。意識を向けずにはいられない。それで消耗してしまった。

 

人と接することがつらい。できないわけではないが、負担が大きいので、続けることが難しい。

 

***

 

去年の11月から、鶴見済さんが主催する「不適応者の居場所」という催しに行くようになった。20人から30人もの人が一室に集まってダベる。椅子や机はなく、地べたに座る花見のスタイルだ。

 

数グループに分かれて、それぞれが好き勝手に話しているだけなので、部屋の隅で眺めているだけでもいい。輪の中に入って、聞き役に徹するのもいい。グループの中にいるだけでも孤独感は紛れるものだ。

 

いい居場所に巡り会えたと思う。ただ、ここだけでは足りない。居場所がひとつしかないと、それがなくなったり、嫌になったりした時に困る。

 

しかし、ここの居心地の良さを味わってしまってからは、自分でイベントを開催する気力がなくなってしまった。

 

イベントの主催を苦しみながらも続けられたのは、孤立を避けたいという思いが強くあったからだ。ところが今や居場所を見つけた。それでもう頑張れなくなってしまった。

 

どうしたものか。苦しくてもイベントの主催を続けたほうがいいのだろうか。そうなのかもしれないが、もう苦しい思いはしたくない。これからは、無理をせずに人と関わっていきたい。


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社会不適応者だから英語を学ぶ

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僕は社会に適応できない。そこで英語の勉強を始めた。

 

現在の僕は無職で、ほとんど引きこもっている。ヒマだがお金もないので、1日の大半をウェブサイトの閲覧に費やしている。

 

しかし現状では日本語のサイトしか読めない。英語のサイトも読もうとはするが、すぐに投げ出してしまう。ほとんど理解できないからだ。翻訳機能も使うが、非常にわかりにくい和訳なので、やはり挫折する。

 

ある問題に対して、自分の意見は賛成なのだが、ググると反対意見しか出てこないということがある。こういう時は悔しい。

 

しかしそれは人類の総意ではない。なぜそう言えるか。日本語の書き込みしか読んでいないからだ。日本語を使うのはほぼ日本人だけなので、僕が読んだのは日本人の意見に過ぎない。

 

しかし英語の書き込みを検索すれば賛同者が見つかるかもしれない。日本語の書き込みだけを見て「人間はこうだ」と判断してはいけない。それは自分のクラスだけが世界のすべてになっている小中学生みたいなものだと思う。

 

日本にも無数の社会がある。ある社会での常識が別の社会では非常識だったりする。だから、自分が所属する社会に適応できないのなら、そこから離れるだけで生きやすくなることもある。会社員から自営業に転じる、都会から田舎に引っ越す、など。

 

しかし日本に住んでいる限り、日本社会からは逃れられない。引きこもっていても、ウェブサイトを見てしまえば常に「日本人の常識」が目に入ってくる。

 

たとえば「○○するのが社会人として当然」といった表現がある。「社会人」で始まる文は基本的に説教であり、人に我慢を強いる内容だ。「社会人」の文字を見たら何らかの否定が始まると見ていい。否定表現の枕詞と言える。

 

そしてこの「社会人」なる言葉は日本語特有のものと言われる。つまり日本語の文章を避ければ、この言葉から始まる説教にも出くわさないで済む。

 

自分の雇用形態が「非正規」であることで差別される現象は万国共通ではない。「非正規で働き続けることがどれだけ損か」「非正規のあなたは正社員にならないといけない」といった説教が溢れかえっているのも、日本語のサイトだけと言える。

 

日本語のサイトはほとんど日本人が書いている。しかし英語のサイトは違う。西洋人だけでなく、アジア、アフリカ、中南米など、あらゆる地域の人が書いている。英語が読めれば、文字通り世界中の人の書き込みが読める。それらを読んでいる間は日本社会から逃避できる。日本語のサイトを避けることで、日本社会の病から距離を置けると思うのだ。

 

英会話など、それほどしたいと思わない。ステレオタイプのアメリカ人みたいな陽気人間にもなりたくない。西洋人が特別に素晴らしいとも思わない。

 

僕は日本社会から逃れたいのだ。ネットを見ている間だけでも日本社会を忘れたい。しかし日本語のサイトには日本社会が詰まっている。僕には日本社会から離れる時間が必要だ。

 

だから英語を勉強している。英文が読めるようになって、英語のサイトに浸って過ごせるようになりたい。  

 

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この記事は下記のラジオで話したことを元に書いた。動画の後半では具体的な勉強法についても語っている。

 

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「不適応者の居場所」に参加した感想

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「不適応者の居場所」という催しがある。主催者は鶴見済さん。2018年11月に第1回、翌月に第2回が開かれた。会場は東京・高円寺。

 

催しの存在を知った瞬間に行きたいと思った。しかし同時に迷った。僕は自分の楽しみのために行動することが苦手なのだ。「勉強になるから」「将来の役に立つから」といった理由がないとなかなか動けない。

 

結局参加することにした。決め手となったのは鶴見さんのこの言葉だった。

『0円で生きる』に「あえて二人以上の人が集まってやることは助け合い」と書いたとおり、この集まりも、単に会うことでギブアンドテイクが成立して各々が生きやすくなる、という助け合いだと思ってます(もちろん全然話さなくてもOK。聞いてくれているだけでも、相手に何かを与えてます)。

http://tsurumitext.seesaa.net/article/462398779.html

 

単に会うだけで「助け合い」になる。「ギブアンドテイク」が成立する。素晴らしいと思った。

 

***

 

初回はなじめなかった。

 

部屋には30人ぐらいいた。カーペットにじかに座る花見のスタイルだ。いくつもの小さなグループができていて、それぞれが雑談している。そうした集団に入る勇気がなくて、出口付近でポツンと座っていた。それもしんどくなったので、10分ぐらいで帰ってしまった。

 

僕はこの会には合わなかった。「不適応者の居場所」にも不適応だった。また開催されることがあっても、もう来ることはないだろう。

 

そうツイキャスで話したりツイッターでつぶやいたりした。すると鶴見さんの目に止まったようで、DMをいただいた。

 

僕の存在には気付いていたが、そっとしておいて欲しい人もいるのであえて話しかけなかった。来月以降も開催するので、また気が向いたらお越しください。

 

こういった内容だった。次回は人数も減ると思う、とも書いてあった。この気遣いに心を打たれ、もう一度行こうと思った。

 

翌月、第2回に参加した。会場のドアを開けると、確かに前回よりは少ない。20人ぐらいだったろうか。数えていないので正確な数はわからない。

 

この時はまず鶴見さんのところに行った。僕が「もくもく会」を開いていることをご存知で、それについて尋ねられた。

 

話は趣味の方面にも飛び、ビートルズの話で盛り上がった。

 

 「不適応者の居場所」という名の催しだが、「自分がいかに不適応か」みたいな話はあまりしなかった。音楽だろうが映画だろうがスポーツだろうが、自由に話をすればいい。そういう場所だった。

 

もちろん「どう生きたらいいのか」という話もいい。僕も今度行ったらそういう話をしたい。

 

良くなかった点は、酔っ払って意味不明なことを話しかけてくる人がいたこと。酔っ払いが嫌いであることは以前書いた。

 

その酔っぱらいに「酒飲まないの?」「酒あるよ」みたいなことを言われてカッとなり「飲みません! 酒は嫌いなんです!」と突っぱねた。

 

「しまった」と思った。その人に対してはそれでよかったかもしれないが、気持ちよく酒を飲んでいる人も多い場なのだ。酒そのものに対する否定的な発言はすべきではなかった。

 

鶴見さんも反省点として迷惑な酔っぱらいの存在を挙げていて「次回からはもっときちんと対応したい」と書いていた。

 

開催は月に1度で、日程は鶴見さんのブログで告知される。ツイッターでも知らせてくれる。

 

次回の開催は1月11日だが、僕は参加するかどうかわからない。今月は何度か人と会う予定があるからだ。対人エネルギーが回復していない場合は行かない。

 

会場が中央線で、西武線在住の僕には少し行きづらいという事情もある。「気が向いたら行く」というスタンスだ。


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バイトを1日で辞めた

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バイトを1日で辞めた。今からその顛末を書いていく。

 

11月13日

アルバイトの求人に応募した。働きたくなかったが、親にお金を借りることがしんどくなってきたのだ。ポスティングを辞めたのが4月15日だから、無職期間は7ヶ月に及んでいた。

 

選んだのは運送会社の仕分けの仕事。大学生の頃に経験があったので「まあいいだろう」と思って応募した。年末までの短期だ。

 

短期のいいところは、ゴールが見えるところだ。そこまで我慢すれば辞められると思うと力が湧く。期限のない契約だと、無期懲役のように感じられて無気力になってしまう。

 

11月15日

面接を受けた。会社に到着すると、アジア系外国人があっちこっちにいる。耳馴染みのない言語が飛び交っている。不安になった。

 

11月16日

会社から電話があった。採用とのことだった。

 

別に嬉しくはない。イヤイヤ応募したのだから。そもそも短期の大量募集は基本的に全員採用だ。こうなることはわかっていた。

 

僕はイヤなことをせずにお金を得る方法を知らない。お金を得るには必ず苦痛が伴う。悲しいことだ。この仕組みに抗えず流される時、生まれたくなかったなと思う。

 

コンビニで保険証や銀行通帳をコピーした。会社に提出するためだ。

 

11月17日

会社に手続きに行った。マンション内で挨拶事件があった日だ。

会社のテーブルには書類が何枚も置いてあった。一枚一枚、名前を書いては印鑑、名前を書いては印鑑、名前を書いては印鑑、印鑑印鑑印鑑印鑑……。ウンザリした。何とかならないものか。

 

トレーニングシート(?)とやらもあり、受講してもいない項目が何十個も並んでいる。これらにレ点を入れていけと言うのだ。なんて馬鹿らしい作業なんだと思った。形式主義ここに極まれり。

 

実際は先頭にレ点を入れて下に棒線を引っ張ればいいと言われたため、すべてにレ点を入れる苦行は免れた。しかしそれはそれで、より無意味さが増したように思えた。

 

11月21日

19時から20時頃まではオリエンテーション。20時から22時までは労働。

 

いわゆるラインでの仕分け。ローラー上流から流れてくる荷物をカゴに積んでいく。軽いものから重いものまで様々。単調な作業なので退屈で、なかなか時間が過ぎなかった。

 

途中で喉が渇いたが、水分補給していいのかわからなかったので、ひたすら耐えた。1時間30分してから、ようやくヒマができたので尋ねてみた。「自由に飲んでいい」とのことだった。

 

それは助かる。しかし嬉しくはない。この現場には「水を飲んでいいのですか」と聞かなければいけないような空気が漂っているということなのだ。

 

それに、水を飲んでいいことが判明するまでの1時間半、水分補給できなかった恨みは残る。だから労働はイヤなのだ。改めてそう思った。

 

22時に仕事を終え、タイムカードを通す。長蛇の列だった。安全靴を脱ぐ間もなく送迎バスに乗り込む。

 

22時10分、送迎バス発。仕事を終えて10分後にバスが出るというスケジュールはきつい。しかも満員で座ることができなかった。相変わらずアジア系外国人だらけだった。

 

11月22日

バイトをやめることにした。怒鳴られたわけでも、作業がすごくつらかったわけでもないが、もうあそこには行きたくないという思いでいっぱいになってしまった。翌日もあそこに行くのかと思うと憂鬱でたまらない。

 

この日は起きてからずっと無気力で、何もできなかった。明日の出勤に対して頭と体が「NO」を突きつけているのだと思った。

 

イヤなことを続けても仕方がない。退職してまた別の仕事をやろう。トライ・アンド・エラーだ。1日働いたのだから意味はあった。

 

これからは単発派遣をやっていこうと思った。夜勤で8時間働けば、それだけで1万円ぐらいになる。月に2万ぐらいあればやっていけるので、月に2度だけ我慢すればいい。

 

本当は派遣で働くのもイヤだ。8時間も軽作業を続けるなんて苦行中の苦行だ。退屈という精神的苦痛に加えて肉体的苦痛も伴う。人間のやることじゃない。ロボットにやらせるべきだ。そんな風に思う。

 

しかし毎月親に借金する生活もイヤだ。イヤとイヤを天秤にかけて、少しでもイヤじゃない方を選ぶ。

 

11月23日

バイト先に電話して退職を申し出た。

 

辞めたいと思ったらすぐ辞めたほうがいい。在籍すればするほど辞めづらくなる。

 

僕はかつて軽作業バイトを2年間続けたことがあった。たしかにお金は貯まったが、あの頃にはもう戻りたくない。夕方3時間だけの仕事だったが、残りの時間も仕事のことが頭から離れず、暗い気持ちで過ごしていた。

 

経済的には安定していたが、振り返ると「失われた2年間」という感じがする。だから我慢してイヤな仕事を続けることが良いこととは思えない。僕はそんな日々を送りたくない。

 

11月26日

会社に行って貸与されていたヘルメットと安全靴を返却した。

 

「体力的にきつい」と言って退職を申し出たため、小物やら書類整理やらの仕事はどうだと提案された。でも僕はもう辞めることで気持ちが固まっていたので、それらも受け入れず「退職します」と答えた。

 

駅までの送迎バスの発車は1時間後。会社で待っているのは苦痛なので、徒歩10分のところにあるバス停まで歩いて、そこから路線バスで帰った。

 

寂しい解放感があった。


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僕は挨拶恐怖症

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来週から労働することになった。

 

今日はその手続きのために職場に行く。集合時間は17時。もう遅刻してしまいそうだ。急いでマンションの階段を降りる。

 

下の方から人が来る気配がする。マンション内で人に会ったら挨拶しないといけない。僕は挨拶が大の苦手なので、いつも住人と会わないように気を付けて外出する。

 

でも今はそんなことをしている時間がない。正面突破しかない。感情を押し殺して「こんにちは」と挨拶する。しかし相手は挨拶を返さなかった。障害物を避けるように肩を引き、黙ってすれ違った。大柄の男だった。

 

頭に血がのぼった。こんなつらい思いをしてまで挨拶したのに無視された。許せない。悔しくてたまらない。相手の後ろ姿に向かって大きな声でもう一度「こんにちは」と言った。でも、また無視された。振り向きもしなかった。男はジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま階段を昇っていった。

 

僕はパニックになってしまった。怒りをこらえきれなくて、入り口のドアを力まかせに締めた。大きな音が周囲に鳴り響いた。

 

声をあげて泣き出したかった。仕事に行くのがつらい。遅刻しそう。そんな時に人とすれ違い、挨拶までしなければいけない状況に追い込まれた。もういっぱいいっぱいだ。それでも挨拶はしないといけない。覚悟を決めて、やっとの思いで挨拶した。その結果、無視された。二度、無視された。

 

僕は駆け出した。遅刻しそうだったから。でも、そうでなくても駆け出しただろう。感情を抑えることができなかったから。いっそ車にはねられたいと思った。

 

挨拶は、恐ろしい。僕が挨拶を欠かさないのは、しないとどんな目に遭うかわからないからだ。怒られる、叱られる、嫌味を言われる……。これらの攻撃を避けるためには、しっかり挨拶するしかない。攻撃される前に攻撃する要領だ。

 

街で人とすれ違う時と同じように、挨拶せずにすれ違えたらどんなに楽かと思う。でもそれは無理だ。子供の頃から、マンション内で人と会ったら挨拶するようにしつけられている。しないとどんな目に遭うかという恐怖から逃れられない。

 

子供の頃に挨拶をしなかったら、親や教師から叱責される。その時の恐怖が抜けないのだ。大人になった今でも、大人からの叱責におびえている。

 

挨拶はとにかく苦手だから、視線は常に落としたままだ。だから相手の顔などは当然わからない。マンションの住人とすれ違う時には極度の緊張状態にあるので、それが限界なのだ。

 

挨拶しないと叱責される。評価が下がる。要するに罰を受ける。だからどんな形であれ、挨拶はできた方がいい。その意味では、恐怖が原動力であってもいいのかもしれない。

 

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