30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々(あぎるブログ)

1985年生まれの34歳。働けない、稼げない、人と接するのがつらい。noteで日記を公開している→https://goo.gl/Jrkznz

「自分を知るための質問」に答える

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「自分を知る30の質問」

 

というのがあった。ほし氏さんのブログ記事で見つけた。

 

では答えていこう。

 

***


①一番好きなことは何?

わからない。その時々で好きなことをしている。

 

②一番不快なことは何?

病気による痛み。

 

③どんな人が嫌い?

声が不必要に大きな人。

 

④逆に、どんな人が好き?

落ち着いていて、興味深い話をする人。

 

⑤何をしている時が心地良い?

一人で葉擦れの音を聴いている時。

 

⑥人間関係でいちばん大切なことは何?

自分が不快に感じる人間と付き合わないこと。

 

⑦人生の中で大切にしているもの3つあげて。

無理しない、慌てない、楽しむ

 

⑧三度の飯より好きなことは?

語学も音楽鑑賞も読書もネットサーフィンも、食事より好き。食事があまり好きではない。

 

⑨譲れない信念や価値観は?

差別や嘲笑を肯定しない。

 

⑩好きな言葉は?

It’s getting better.

 

⑪なぜその言葉が好き?

音が好き(ただし「t」をしっかり発音する場合に限る)。意味も「だんだん良くなっている」であり、素敵だ。

 

ビートルズの楽曲で「Getting Better」というのがある。これもあって好きな言葉となっている。

 

⑫今の自分に点数をつけるとしたら?

70点。

 

⑬なぜその点数?

今のままでも合格だが、もっと上を目指してもいい。そんな点数だから。

 

⑭どうなりたい?

労働せずに生きたい。

 

⑮直したいところや改善したいところはある?

もっと外国語がうまくなりたい。英語に限らない。複数の言語を習得したい。視野を世界に広げたい。


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⑯一生の中で何が何でも欲しいものは?

自由時間。

 

⑰もし男(女)なら、どんな女性(男性)が好き?

柔和な人。

 

⑱絶対、これだけはしたくないことは?

路上喫煙。

 

⑲尊敬する人は?なぜその人?

特にいない。

 

⑳あなたの望む理想のライフスタイルは?

労働しない生活。

 

㉑嫌いなことは?

したくないのにしなければならない行為。労働、家事、通院、義理など。

 

㉒あなたの人生に課題があるとしたら?

実家暮らしも楽じゃない。だがそれ以外の道は一層しんどい。もっとしんどくない生き方がないものか。

 

㉓人生でこれだけは続けたい楽しみは?

ビートルズの楽曲を愛聴し続ける。

 

㉔欲しい能力は?

複数の言語を駆使する能力。

 

㉕人に何て言われることが多い?

落ち着いている。

 

㉖たった一つだけ願いが叶うとしたら?

病気をせず老衰で死にたい。

 

㉗疲れた時、エナジーチャージできるものは何?

睡眠。

 

㉘「お金とは・・・である」・・・に言葉を入れて。

あれば労働から解放されるもの。

 

㉙人生の中での一大ニュースは?

34歳になってもまだ生きていること。

 

㉚29個の質問に回答してみて感じたこと。

いずれも、いつも考えているようなことだ。僕のブログや日記やラジオを追っている人ならわかるだろう。つまるところ、僕は自分の内面を探るのが好きなのだ。

 

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「はてなブログPro」を解約したい

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最近は投稿ペースが落ち、月に1度程度になっている。

 

どうしてここまで減ってしまったのか。noteで日記を書いているからだ。月に10記事ぐらい書いている。同系統のブログを2つ運営するのは難しい。

 

noteにはできごとを書いて、はてなブログには意見を書く。そういう方針でやってきた。しかし2018年2月からはラジオ(YouTube)を始めた。

 

その上ツイッターもある。

 

このブログに記事を投稿する必要性がなかなか生じない。

 

無理に書くこともないとは思うが、はてなブログには月々1008円払っている(「はてなブログPro」という有料会員の会費)。だから最低でも月に1度は投稿したい。

 

なぜ有料会員になっているのかというと、グーグル・アドセンスでお金を稼ぐ(広告収入を得る)のに必要だったからだ。

 

ところがこれも今や不要になった。かつては月に新品ゲームソフト1本ぐらいの収益があったのだが、今や喫茶店のコーヒー1杯ぐらいになってしまった。もう数ヶ月も赤字(1ヶ月の収益が有料会員費1008円以下)が続いている。

 

これならさっさと退会したほうがいい。しかし現在、アドセンスの口座には、ある程度のお金がたまっている。8000円に達すると振り込まれるシステムで、僕の場合、あと数ヶ月待てば到達する。今やめるのは得策ではない。

 

ただ今後の収益がスナック菓子レベルに落ちるようなら、すっぱり退会したほうが得になる。8000円を得るために9000円失うようではいけない。

 

まあとにかく、8000円に到達し、それが振り込まれたら有料会員はやめる。それでもブログは残るし、更新もできる。読者の皆様が受けるデメリットは、過去のリンクとブックマークが無効になることぐらいだ(URLが変わるため)。

 

退会までに時間がかかるほどお金が失われる。早く8000円に到達してほしい。


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英語の発音を気にしすぎる日本人

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ある芸能人が、英語学習の動画をアップロードしていた。発音のお手本にはアメリカ英語を選んだという。

 

イギリス英語の発音は、アメリカ英語の発音に比べてカタカナ発音に近い。それゆえカタカナ発音のクセを抜くのが難しい。かなり上達してもカタカナ発音が出てしまう。自分はそういう人をたくさん見てきた。それでアメリカ英語を選んだと。

 

彼の言っていることは理解できる。僕はイギリス英語の発音を習得しようとしていて、まさに彼の言う壁に日々ぶつかっているからだ。

 

ただ、この記事で問題にしたいのはそのことではない。彼が使っていた表現についてだ。上記の話をしている時に、日本語訛りの発音を「汚い」と言っていた。僕にはこれがかなりショックだった。

 

こういうことを日本人自身が言う。根深い問題があるように思う。

 

***

 

「東北訛りを直して、きれいな標準語で話そう」

「3ヶ月の訓練で東京出身と間違われるほどになりました」

 

こんな宣伝文句を見たらどう思うだろうか。不快になっただろうか。でも英語の発音となると、多くの日本人がこういうのに飛びつく。日本の英語学習の世界にはこういうのが蔓延している。ネイティブ発音信仰だ。

 

訛りには、相手に通じるものと、通じないものがある。通じないのは直さないといけないが、通じるのであれば、それ以降どうするかは個々の事情次第だろう。矯正は必須ではないはずだ。

 

アナウンサーになりたいのなら直さないといけないが、単に外国人と交流したいだけなら、通じれば事足りる。

 

ただしカタカナ発音でOKとは思わない。これは強調しておきたい。語学というのは、基本的にネイティブのコピーをするものだ。それでも母語の訛りは残る。それを気にしすぎるのは良くないという話をしている。

 

初めからコピーしようともしないのはダメだ。たとえば「California」という音を聴いて「カリフォルニア」と発音しているようでは、聴いていないのと同じだ。僕はその人を、言語を習得する気がない人とみなす。

 

ちゃんと聴いていれば、せめて「キャラフォーニャ」「カラフォーニャ」みたいになるだろう。少なくとも「カリフォルニア」にはならない。


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僕の目標は英文が読めるようになること。そしていろいろな国の人と交流できるようになることだ。だからネイティブ発音にこだわる必要はない。それでも、ネイティブ発音を目指しているのは、単に習得したいからだ。

 

ある時、ネット上でブリティッシュ・アクセントを聞いて衝撃を受けた。それまでに聞いていた英語(アメリカン・アクセント)と全然違う。とても心地よかった。ぜひとも自分でも話せるようになりたいと思った。

 

他人には「通じればいい」言いながら、自分自身はネイティブ発音を目指しているのは、こういう事情があるからだ。特に発音に対する憧れもなく「通じればいい」という人は、そこまで発音にこだわる必要はないと思う。

 

くり返すが、発音なんてどうでもいいとは思わない。ただ発音に対する姿勢が異常な人が多いので、改めてもらいたいのだ。

 

たとえば、日本人の有名人が英語でスピーチをする。それをYouTubeに投稿する。コメント欄はどうなるか。おそらく発音に関するもので埋まる。内容なんて誰ひとり聞かない。誰も彼もが、発音・発音・発音。

 

空疎な内容であろうと、幼稚な内容であろうと関係ない。ネイティブに近い発音であれば称賛される。「英語うまいですね」「帰国子女みたいだ」といったコメントが溢れる。ネイティブの出す音に似てさえいればいいのだ。

 

いったい言語を何だと思っているのか。楽器の演奏か何かだと思っているのか。

 

言語は意思の疎通のためにある。このことを忘れないでほしい。そうすれば、発音にしか興味がない上記のような人間にはならないはずだ。


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働かない実家暮らしの未来

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実家暮らしは、労働しなくても生きられる。

 

親に養ってもらえばいい。家のカギを奪われない限り、家に入ることができる。親がうるさいのなら、親が寝てから帰宅し、親が起きる前に出かければいい。食べ物は家のものをこっそり食べる。実家さえあれば死ぬことはない。

 

それが無理になったら、どこかに相談。役所でもNPOでもいろいろある。仕事を紹介されればそこに行く。続けられるなら続けるし、つらければ退職する。退職したらまた相談に行けばいい。別の何かを紹介してくれるだろう。

 

退職をくり返すとどうなるか。最終的には生活保護になるだろうが、そこに至るまでにもいろいろある。相談に行けば、そのあたりのことも教えてくれるだろう。

 

食べることに関しては、たとえば東京都区内では毎日炊き出しがおこなわれている。これさえあれば餓死はない。現代日本では餓死しないようになっている。

 

知人の援助も得られる。ここ数年、僕は社会に適応しない人たちと会ってきた。ネット上にもそうした界隈がある。彼らに相談することもできる。泊まり歩くこともできる。

 

「他人に迷惑をかけて平気なのか」という意見が来そうだが、何に迷惑と感じるかは人による。当事者同士が納得しているのであれば問題ない。


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顔出しYouTuberになるのもいい。

 

今のところ、僕はラジオしか投稿していない。それで約150人のチャンネル登録者を得た(2年以上かかった)。顔を出して話すスタイルにすれば、今まで以上に伸びていくだろう。

 

150人では広告を貼れないため、収益はない。だから僕はYouTubeで一銭も稼げていない。しかしYouTubeそのもので稼げなくてもいいのだ。自分自身を広めることができればいい。

 

これまでに数回、polcaを利用して動画に対する「おひねり」を求めた。そして何千円かいただいた。こういうのでいい。現金でなくとも、動画を観た人が何かをくだされば、それは動画から得た収益と言える。

 

僕にはこのブログもある。noteで日記の販売もおこなっている。これらで月に数千円稼いでいる。僕には既に何百人ものファンがいるのだ。それはラジオと文章だけで獲得した。これに加えて顔も出せば、収入は今よりも増えていくだろう。

 

とは言っても、ラジオも文章も金儲けのためにやっているわけではない。僕がここで言いたかったのは、僕には既に助けてくれる人たちが大勢いるということだ。

 

これは「お恵み」ではない。僕は書いたり話したりする。それを読んだり聴いたりした人が、僕に何かをくれる。「ギブ・アンド・テイク」だ。

 

【僕のネット上での活動】

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最後に。僕は遠い未来のことを考えることができない。何しろ人間は突然死ぬ。今日死ぬかもしれないのだ。僕は最近頭痛に悩まされている。きっと脳腫瘍だ、もう長くない。そう考えて怯えている。

 

高い確率で命に別条はないだろう。しかし、ことほどさように体調不良を死と結びつけて考えている。これでどうして何年も先のことまで考えられるだろうか。

 

かつてニート界のスターだったpha氏の言葉を紹介したい。

 

まあ、何十年も先のことなんてどうなるか分からないし、とりあえず今なんとかなっているんならそれでいい。今考えてもどうしようもないことは、どうにもならなくなり始めてから考えよう。(『ニートの歩き方』、163ページ)

 

僕もそう思う。もう一つ、明治時代の架空ニート、長井代助の言葉。

 

無論食うに困る様(よう)になれば、何時でも降参するさ。然(しか)し今日に不自由のないものが、何を苦しんで劣等な経験を甞(な)めるものか。印度人が外套を着て、冬の来た時の用心をすると同じ事だもの(夏目漱石『それから』、フリガナは引用者)

 

外套の準備は秋に始めればいい。夏では試着さえ難しい。大汗かいて、いい外套を選べるものか。代助が職探しを始めたのは、親に勘当された後だった。


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労働しない生活がベスト

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もう2年近く、ろくに働かずにのらくらしている。どうもこれが理想の生活に近い。

 

日向ぼっこ、散歩、読書、インターネット。あとは誰かとダベることができれば幸せ。外で働くことも、家事も、ゼロにできればベストだ。

 

こういう生活は、自分で稼がない限り、誰かの稼ぎに頼ることになる。稼ぐことが好きな人に養ってもらえればいいが、仕方なく稼いでいる場合、単に嫌なことを他人に押し付けているだけになる。これはベストではない。

 

稼ぐのが好きな人に養ってもらえるようになったとしても、その人のことが嫌いだと厳しい。「別れたら生活できなくなるから嫌々言うことを聞いている」なんて状態はしんどい。

 

世の中には「働きたい」と言う人がいる。こういう状態を避けたいという意味で言っている場合がある。この意味なら、労働がつらくて仕方がない僕でも理解できる。

 

僕にとっては、労働しない生活がベスト。しかしそれでは必要なお金が入ってこない。代わりに誰かに稼いでもらわないといけない。それはベストではない。

 

ここまではわかっている。ここを起点として、最善の道を探っている。


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「ラブライブ!」パネル撤去は仕方ない

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アニメ「ラブライブ!サンシャイン!!」のパネルが、指摘を受けて撤去される騒動があった。

 

 

僕はこの作品のファンだが「この絵はまずい」という立場だ。

 

記事によると、寄せられた指摘は「スカートが透けているように見える」というもの。確かに女性キャラクターのスカートに影が描かれ、股の形が浮かび上がっている。

 

普段はこのような影は描かれていない。その上、スカート丈もここまで短くない。つまりいつも以上に性的なデザインになっている。

 

今回は一般の団体(JAなんすん)とのコラボで、特産品のみかんをPRするために実現した企画だ。ファン向けグッズとは違って、老若男女の目に触れる。性に関わる部分には、いつも以上に慎重になるべきだった。それなのに、よりによって、普段よりも挑戦的な絵を出してしまった。

 

寄せられた批判は、今回の絵がその場にふさわしくないということだ。つまりTPOの問題であって、作品やキャラクターじたいが否定されているわけではない。

 

今の沼津の街を見ればわかる。この作品は沼津が舞台となっている。そのことから、作品と街のコラボが実現しており、市内のあちこちにキャラクターの絵が飾られている。もし作品やキャラクターが受け入れられていないのであれば、こんなことにはなっていない。

 

この騒動を「フェミニスト対オタク」といった見方をしている人がいるが、適切ではない。女性の性を強調した絵を問題視することはフェミニズムの一部だが、そういうものを公共の場にさらすべきではないという考えは、一般的なものだ。

 

だから「一般人対オタク」のほうが近い。しかしこれも不正確だ。オタクがみんな今回の絵を肯定しているわけではない。特に、作品が広く一般に受け入れられることを願うファンにとっては、今回のような騒動は、特に避けてほしかった。

 

過去にあった「宇崎ちゃん」献血ポスター騒動も「駅乃みちか」騒動も、TPOの問題だった(これらも「フェミニスト対オタク」ととらえる人が続出して泥仕合になっていた。同じことがくり返されている)。

 

関係者は過去の事例を見て行動してほしい。再び同じことが起きないよう願っている。


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非日常は自分でつくる

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年末年始が苦手だ。

 

人間には非日常が必要といわれる。日常はつらいものだから、ガス抜きが欠かせない。年末年始や祭りなどがそれに当たる。その理屈は理解はできるが、僕には必要ない。

 

年末年始は、何といっても不安なのだ。病院が閉まるのが一番つらい。大きな病気を抱えているわけではないが、体調が悪くなったらどうしようと思ってしまう。ちょっとした体の異変を感じてはおびえている。

 

その上、この期間は多くの人が休みだから、どこへ行っても混雑する。不安で不便で行動しにくい。いいことがない。

 

そもそも日本の正月文化じたいが好きではない。「良いお年を」も「あけましておめでとう」もイヤ。松飾りを見ると憂鬱になる。おせちも雑煮もおいしくない。どこへ行っても琴による「春の海」が流れていてウンザリする。広告やテレビで見かける着物姿の男女もダサい。早く普段着に着替えてほしい。

 

土日祝は仕事が休みだから非日常。そういう人も多いだろう。でも、もし水曜・木曜が休みなら、水曜・木曜が非日常になる。土日祝が非日常なのではなく、休日が非日常なのだ。

 

非日常は他者から与えられるものではない。自分でつくるものだ。普段行かない場所に行くだけでいい。ショッピングモール、レンタルビデオ店、駅の反対側、いつもと逆方向の駅……。普段読まない本を読むだけでも非日常だろう。普段着ない服を着ることも非日常になる。

 

地元の祭りを待ちわびる必要はない。祭りなど、探せばどこでも開催されている。古本市や古着市だって祭りだ。開催は土日祝が多いが、長期間催されているものもある。美術館や博物館の特別展は数ヶ月単位で開かれている。

 

今は江戸時代ではないのだ。村や藩から抜け出せなかった時代には、地元の祭りがガス抜きとして必要だった。今は違う。自転車があれば3キロでも5キロでも移動できる。2300円あれば電車やバスを利用して隣の街まで行ける。普段近所のコンビニぐらいしか行かない人間なら、別の市町村など異世界だ。

 

普段しないことをする。普段行かないところへ行く。非日常は自分でつくれるのだ。他者から与えられる非日常を、僕は必要としない。


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「ペット・サウンズ」は名盤ではない

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アメリカのロックバンド「ビーチ・ボーイズ」のファンだ。高校時代から愛聴している。

 

ただ、どうも僕の評価は一般的なものと違う。評論家もミュージシャンもファンも「ペット・サウンズ」(1966年発表)や「スマイル」(67年発表予定だったが頓挫)を頂点と考えているようだ。雑誌でも映像でも、そのあたりに焦点が当てられる。僕はそうではない。

 

ビーチ・ボーイズは62年にメジャーデビューした。当初はサーフィンや車の歌を歌っていた。基本はロックンロール。多種多様な楽器が「これでもか」と詰め込まれたサウンドも特徴的だったが、とにかくキャッチーだった。親しみやすい音のくり返しだった。

 

僕は高校生の時に「サーフィン・U.S.A.」(63年)や「アイ・ゲット・アラウンド」(64年)を耳にして、もっと聴きたいと思った。そこで調べてみると、どうやら彼らの最高傑作は「ペット・サウンズ」(66年)というアルバムのようだ。それで聴いてみた。

 

何だこれは。乗れないし、心も打たれない。何曲かはいいものの、基本的に退屈。サウンドは凝っているが、そもそも曲が良くない。元が悪ければ、どれだけ装飾を施してもどうにもならない。

 

それでビーチ・ボーイズから離れてしまった。数年後にベスト盤を聴いてファンになるのだが、「ペット・サウンズ」を聴いたばかりに数年遅れてしまった。

 

別にこのアルバムが好きな人がいてもいい。問題はそういう人が多すぎることだ。「ビーチ・ボーイズ=ペット・サウンズ」というレベルになっている。


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「ペット・サウンズ」やその次の「スマイル」(66年~67年)が世間では頂点とされているようだ。でも僕は「迷走」だと思っている。68年の「フレンズ」を聴いた時にはホッとした。変に凝ったサウンドから、シンプルなサウンドに回帰していたからだ。

 

「ペット・サウンズ」「スマイル」以前のビーチ・ボーイズは素晴らしい。これらを経たビーチ・ボーイズも良い(つまり66年と67年だけが良くない)。

 

「フレンズ」の後の「20/20」(69年)も粒ぞろい。「サンフラワー」(70年)などは、これを最高傑作とする人がいてもおかしくない。80年の「キーピン・ザ・サマー・アライヴ」は60年代の黄金期に肩を並べる名盤だと思っている。

 

70年代以降はアルバム単位では弱いが、名曲は多い。「ザ・トレイダー」「カリフォルニア・サーガ/カリフォルニア」「レディ・リンダ」等々。もしこれらの曲を知らないのなら「ビーチ・ボーイズの最高傑作は○○」「ビーチ・ボーイズは『スマイル』で終わった」などと口にする資格はない。

 

くりかえしになるが「ペット・サウンズ」「スマイル」を否定しているわけではない。過大評価されているとは思うが、この記事はそれを唱えるために書いているわけではない。これらを頂点として他を軽んじるような聴かれ方に異議があるのだ。

 

僕は64年の「オール・サマー・ロング」が最高傑作だと思っている。「ガールズ・オン・ザ・ビーチ」(「浜辺の乙女」)など、実に素晴らしい。

オール・サマー・ロング +3

オール・サマー・ロング +3

 

 

これだけ素晴らしいハーモニーがあるのに、どうして彼ら(というかブライアン・ウィルソン)は「ペット・サウンズ」「スマイル」のような奇妙なサウンドに向かっていったのか。いや、それはこの記事のテーマではない。僕はあれらの「迷盤」が最高傑作とされ、前後の「名盤」が軽んじられている現状を嘆いているのだ。

 

「トゥデイ」(65年)でも「サマー・デイズ」(同)でも、「○○(曲名)には『ペット・サウンズ』の萌芽が見られる」といったことを書く人がいる。それではまるで「ペット・サウンズ」以前が助走期間だったみたいではないか。「トゥデイ」も「サマー・デイズ」も、そのままで素晴らしいのだ。

 

とにかく昨今は「ペット・サウンズ」「スマイル」ばかりに光を当て過ぎだ。そういった記事や映像が量産され続けている。この記事を読んだあなたは、世間のビーチ・ボーイズ評を鵜呑みにせず、1枚ずつしっかりと聴いていってもらいたい。

 

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僕は差別に「No」と言う

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どうしても排外的な書き込みが気になる。

 

無視すればいいと言われるが、それは最適な行動なのだろうか。何も言わないことは罪なのではないか。良くないものには「良くない」と発信していくほうがいいと思う。

 

「外国人が嫌い」という感情を発信することに意義はない。外国人のどの点に問題があるのか述べてもらいたい。そうすることで、初めて他者にとって意義のある言葉となる。

 

問題点を具体的に挙げてもらえば、それが人種の問題ではないとわかるだろう。たとえば「○○人はマナーが悪い」という意見が出たとする。この場合、対処すべきはマナーの悪い個人だ。

 

「○○人は嫌いだ」と発信をする人は、それに同調する人間と仲良くなって完結しているのかもしれない。でも嫌いと言われた○○人はどう思うか。あなたは仲間ができて嬉しいかもしれないが、そのために○○人全員を傷つけている。何千万、何億もの人々を傷つけている。

 

あなたがこれまでに出会った日本人は、すべて悪人だったか。それともすべて善人だったか。どちらでもないはずだ。多種多様だっただろう。それはどの国でも同じことだ。

 

「日本に来るな」「国へ帰れ」。こんなことを言っていたら、あなたの味方は日本人だけになる。それも心ある日本人はあなたと距離を置く。あなたの周りには、日本人の排外主義者しかいなくなる。世界中のただ一国、更にその中の少数の人間だけになる。

 

あなたがヘイトスピーチをするほど、あなたの味方は減っていく。生きづらさが増していく。

 

今これを読んでいる人は排外主義者ではないだろう。ただ彼らをネットで見ない日はない。彼らに対する自分なりの意見は持っていたほうがいいように思う。この記事をその一助としてほしい。

 

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一人でいるときこそ、何かとつながっている

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人といると疲れる。

 

自分ばかり話さないよう、相手に話をさせる。興味のある話ばかりではない。「つまらないからやめて」とは言えないから、ジッと話し終わるのを待つ。

 

ようやく言葉が途切れてホッとする。だが「ふーん」で終わらせては失礼だ。そこで興味がないのに質問してしまう。また退屈な話が続く。

 

かと言って、自分ばかり話すのもつらい。途中で話し飽きても「もう嫌になったからやめるね」とは言えない。ウンザリした表情が出ないように努める。人といると、こうした無理を重ねてしまう。

 

そもそも、大きな声で話さないといけないのがつらい。僕がちょうどいいと思う音量では、他人に届かないのだ。いつも小さな声でボソボソとしゃべっていたい。

 

誰かといるより一人がいい。一人でいるときこそ、何かとつながっていると感じる。

 

たとえば空を見上げる。そして遠い国や、既にこの世にない人々に思いを馳せる。こういうことは誰かと一緒にいたらできない。

 

平安貴族が見た、春の夜明けに山の輪郭がだんだん白んでいく様子を、僕らも見ている。

 

枝や草花が風で揺れる。あれは彼らの表情だ。ビュウビュウ、バサバサ鳴るのは、彼らの声だ。

 

植物は自分からは話さない。語りかけると黙って聴いてくれる。

 

いつも誰かといたがる人は、見えるものにこだわりすぎている。金子みすゞではないが、見えぬものでもあるんだよ。

 

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