30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの33歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返しています。日記(note)→https://goo.gl/Jrkznz

大学には行ったほうがいい(働きたくない人向け)

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「大学には行かないほうがいい」という話がツイッターで話題になった。でも僕は行ったほうがいいと思っている。

 

僕の高校時代は暗かった。集団生活がつらくて不登校になり、一人で勉強できる通信制高校を卒業した。アルバイトもせず、市立図書館にこもる日々だった。2年半の間、友人はゼロ。あまりの孤独に耐えかねて、泣きながらカウンセラーや祖父母に電話したりした。

 

だから大学に進学して、人の中に入れたことが嬉しかった。大学のいいところは、集団の中にいながら、集団で行動しなくていいところだ。

 

サークルにも入らなかった。どこかに入ろうとして見学にも行ったが、気に入ったものがなくてあきらめた。

 

大学は自宅から1時間ぐらいのところにあった。授業以外の時間は学食かパソコンルームか図書館にいた。学食では新聞や本を読んだ。人の出入りが多いのが良かった。寂しさが紛れた。

 

パソコンルームではレポートを書くこともあったし、遊びで使うこともあった。よくmixiの日記を更新した。

 

図書館では来る日も来る日も本を読んだ。興味のおもむくままに読んでいると、いくら時間があっても足りない。

 

こういうことはすべてニートでもできる。大学に入学しなくてもキャンパスには入れるからだ。図書館は学生しか入れないところが多いが、別に公立の図書館でもいいだろう。

 

ただ、そういう暮らしをしていると、親から「働け」と言われる。でも大学生なら何も言われないのだ。朝、家から出てしまえば後は自由だ。朝から晩までほっつき歩いていても何も言われない。親は学校で勉強していると思うからだ。

 

要するに、大学生になってしまえば、4年間遊んでいても文句を言われないのだ。ブラブラしていても何も言われないのは大学生だけだ。

 

フリーターでも遊べるが、周囲から「正社員になれ」といった文句を言われ続けるし、正社員でない自分を責めてしまいがちだ。社会には「フリーターは大損」「フリーターではいけない」「フリーターは今すぐ正社員を目指せ」という言説があふれている。

 

大学生なら、単位さえ取れていれば後は遊んでいても何も言われない。ニートとほぼ変わらない生活を送っていても、ニートとは呼ばれない。大学生でありさえすれば「ニート」という言葉で自分を責めないで済む。

 

これは精神的に大きい。同じブラブラするのでも、大学生であれば周囲は許してくれる。社会に許されているという感覚を持って4年間遊べる。

 

4年後にはニートになるかもしれないが、少なくとも4年間はニートとは呼ばれない。20歳前後の多感な時期に、精神的苦痛なく遊べるのは大きい。ニートやフリーターになるまでの時間を先延ばしにできる。

 

大学生という身分でありさえすれば、現代日本社会に蔓延する「正社員教」や「ニートバッシング」「フリーターバッシング(非正規バッシング)」から逃れることができる。

 

現代日本社会において、大学生だけが遊んでいても許される身分なのだ。何百万円もの学費がかかるが、それは遊んでいても非難されない身分証の値段だ。それを親が買ってくれるというのなら、買ってもらって利用したほうがいい。

 

***

 

やりたいことがあっても、大学に行きながらやればいい。少なくとも文系の大学生は暇だ。大学1年の春学期(入学から夏休みまで)などは忙しいが、それでも高校のように週5日、朝から夕方まですべて授業が詰まっていることはない。基本的に、週に2日から3日通えば卒業できる。 

 

教職などの資格を取ろうとすると忙しいかもしれないが、忙しいのがイヤなら取らなければいい。最低限の単位で卒業しようとすれば、かなり暇だ。夏休みも春休みも2か月以上ある。

 

***

 

明確にやりたいことがある人は、まっすぐそこに進めばいい。しかし特にそういうものがなく、親が学費を出してくれるのであれば、大学に行かない理由がない。

 

高卒で就職して、勉強したくなってから進学するのもいいとは思う。でもその場合、親はお金を出してくれないだろう。でも高校から大学にストレートで行けば、親がお金を出してくれることが多い。

 

4年間で400万円ぐらいかかるから、400万円小遣いをもらえるのと同じだ(学科によってはもっとかかる)。タダでお金をもらえるなら、もらっておいたほうがいい。

 

「どうしても専門学校に行きたい」「どうしても就職したい」という人は、そうしたらいい。でもそういうものがないのであれば、大学に行くのがいいと思う。勉強なんかしたくないとしても、週に2日も通えば卒業できる。残りの5日間で遊べばいい。

 

***

 

学部や学科は興味のあるものを選べばいい。「本当は哲学を勉強したいが、将来のことを考えて経済学部」みたいなことはやめたほうがいい。授業がつまらなすぎて通えなくなってしまったら本末転倒だ。やりたい勉強をして充実した日々を送ったほうがいい。

 

僕は哲学・宗教専攻という完全に就職に役立たないところで学んだが、後悔していない。今になっても「楽しい4年間だった」と振り返ることができる。好きな学科を選んで良かった。

 

「映画の勉強をしたいけど親が法学部しか認めず、それ以外の学科では学費を出してくれない」というような場合は仕方がない。学校の勉強はギリギリ卒業できる程度にして、残りの時間に映画の勉強をすればいい。

 

他学科の講義にもぐりこむことだってできる。僕は実際にやった。黙っていてもいいし、気が咎めるなら教授に相談すればいい。また、学外の市民講座を受講してもいい。

 

とにかく大学生には時間があるので、学ぼうと思えばいくらでも学べる。僕はよく美術館に行った。文学記念館にも足繁く通った。

 

大学生には大いに時間がある。大いに時間があるから大いに学べて、大いに遊べる。そんな暮らしをしていても許される唯一の身分だ。だから大学には行ったほうがいい。僕はそう思う。

 

***

 

この記事は、自分自身がツイキャスで話した内容を元に書いた。YouTubeにアップロードしたものを下記に掲げておく。

 

***

 

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スカートを穿いて暮らしたい

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8月のある日から、深夜限定で、ハーフパンツで出かけるようになった。僕は昔から成人男性のハーフパンツをカッコ悪いと感じている。見かけるたびにイヤな気分になって目をそらしてきた。

 

それぐらい嫌っていたのに、何があったのか。

 

掃除をしていたら高校時代に体育で穿いていたハーフパンツが出てきたのだ。それを見ると、裾が結構広い。

 

僕はスカートを穿いて出かけたくて仕方がない。でも男がスカートで外出することは社会的タブーとなっているので諦めている。でもこのハーフパンツなら、少しだけスカート外出の気分を味わえるのではないか。

 

そう思って穿いて出かけてみた。人に見られたくないので、深夜2時か3時に、人通りが少ない道を選んで歩いた。

 

足元から股に入ってくる風をそこそこ感じられて嬉しかった。スカートとはだいぶ違うが、長ズボンよりは近い。

 

スカートへの憧れからハーフパンツ外出の扉が開かれたのは面白いものだと思う。

 

とはいえ、やはり大の男のハーフパンツ姿はイヤだと感じる。目を背けたくなる感覚は変わらない。

 

だからこの先も、深夜の人気のない道以外に穿いていくつもりはない。コンビニに行くなどは考えられない。

 

もっとも、今はもう秋だ。穿くも穿かぬも来年以降の話になる。

 

***

 

先日、ガウチョパンツというものを知った。裾が広めのズボンで、レディースファッションだ。足を閉じるとロングスカートのように見える。

 

それでもズボンなのだから、男性が穿いてもいいのではないか。そう思ってググってみると、メンズもあった。これはいい……。好みだ。

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(画像出典 http://buyee.jp/yahoo/shopping/store/item/mensapparel_111120/mensapparel/1?lang=ja

 

さらに調べると「袴パンツ」などというものもあった。カッコイイ……。こういうのを穿いて出かけたい。

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 (画像出典 http://buyee.jp/yahoo/shopping/store/item/albino_10141/albino/1

 

でも今住んでいる郊外の街では目立ってしまう。僕は目立ちたくない。

 

都会に住めばいいのだろうか。僕は都内に行くたびに道の狭さに辟易して郊外に帰りたくなるのだが、郊外は僕に向いていない気がしている。

 

郊外というのは、サラリーマン家庭で構成されている街だ。サラリーマンというのは、自分を周囲に合わせられる人たちだ。そこからはみ出てしまうような人間は、郊外では異端者なのだ。

 

スカートを穿いて暮らしたい。それが難しければ、せめてそれに近いズボンを穿いて暮らしたい。でも目立ちたくはない。

 

標準から外れた格好をした場合、郊外なら目立つが都会なら目立たない。人が多くて一人ひとりの存在感が薄まるからだ。

 

また人混みの中にいると、自意識が弱まる感じがある。人間は情報量のかたまりなので、目の前に大量の他人がいると、脳がそれを処理することで精一杯になって、自分がどう見られているかと気にする余裕がなくなるのだ。

 

都会には自分が変だと思っている格好を上回る変な格好の人がいる。だから、ある程度は安心して好きな格好ができる。外国人も多いから、現代日本人の標準から外れた格好をしていることへの気後れも薄れる。

 

目立たずに済むとか、流行っているとか、モテるとか、そういう他人基準ではなく、自分がその格好をしていると幸せな気持ちになれる格好で暮らしていきたい。

 

 

***

 

 

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雇われて働くのは、もうイヤだ

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労働が苦役でなかったことがある。2016年の夏だった。僕はデータ入力の仕事に就き、週5で7時間働いた。期間は短期で1ヶ月半。

 

水分補給自由、アメを舐めてもいい、雑談も可というゆるい職場だった。トイレは申告制だったが、僕は職場の上の人に掛け合って、自由に行けるようにしてもらった。

 

時給1000円だったので日給7000円。日払いだったのも嬉しかった。1ヶ月半で、計25万ぐらい稼いだと思う。

 

パソコン、iPad、iPod touchなどを相次いで購入した。2日連続でプロ野球を観に行った。金を湯水のごとく使った。

 

秋にも募集があったので、また働いた。前回のメンバーとは変わってしまい、雑談できる人がいなくなった。トイレが申告制に戻ってしまった。今度は掛け合ってもダメだった。椅子も前回は背もたれ付きを認めてくれたのだが、今回から丸椅子になってしまった。丸椅子に座って長時間パソコンに向かうのはつらい。

 

休憩から戻る時間もアバウトだったのが厳格化された。2分遅れで戻ってきたら、60代の男性上司に「休憩時間の終わりには席にいて、チャイムと同時に作業を開始しないといけない」と叱られた。

 

「社会人として当然」という意見も出ると思う。この男性上司も「これは常識だから」「社会に出たら」「社会では」等々、テンプレートのような会社員語録で叱ってきた。

 

でも僕はそういうのが非常につらいのだ。休憩時間が10分なら、10分休んでから戻るのでなければ、休憩時間10分と言わないと思う。そもそもデータ入力の開始が1分や2分遅れたからといって、誰に迷惑がかかるのだ。

 

たとえば作業中に資料でも取りに行って、そこで会った人と雑談でもしたら1分ぐらいたつだろう。「チャイム前には席に着く」とか「チャイムと同時に仕事開始」などというのは男性上司の自己満足ではないか。開始時間にだけ異常に厳しいというのは、全国の学校や会社にはびこる病気だ。

 

この60代男性上司は、夏に働いた時に比べると機嫌が悪かった。朝礼で「うちのバカ息子が……」みたいな話をしていて、イヤな感じだった。息子であろうと「バカ」などと付けて語るのは不快だからやめてほしい。そんな言葉を使う人間がいる空間にいたくない。

 

***

 

僕だけでなく、ほかの人も彼の説教被害に遭っていたようだった。

 

彼は定年退職してこの職場に来たらしい。同世代や同じ境遇の人間がいなくて不満を募らせ、各所で愚痴っているとか。そんなどうでもいい話を小耳に挟んだ。元は一流百貨店の社員だったらしい。哀れなものだと思った。でもそんな哀れな老人の指示に従わねばならない自分は、なお哀れだ。

 

それはさておき。

 

僕は仕事に行くのが非常につらくなった。ある日の朝、吐き気で朝食が食べられなくなった。玄関で靴を履いていたら、めまいと同時に猛烈な不安が来て、自分はここで泣き叫んでしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 

自転車で通勤する間も「うー、うー」と、うなりながら感情を制御した。「イヤだよーイヤだよー」「行きたくない行きたくない行きたくない」とつぶやき続けた。

 

職場に着いても、もはや社交上の作り笑顔ができなくなっていた。つらさを隠せなくなっていた。周囲からも「具合が悪そう」と心配された。「やせたんじゃない?」とも言われた(元々ガリガリなので、やせるのは大ごとだ)。

 

あまりにもつらいので、担当者に相談して勤務を週3日に減らしてもらった。

 

しかし家に帰ると「もう働けない」と思った。派遣会社に電話して「体調が悪すぎてもう無理です」と言った。引き止められたが、何とか断った。

 

同じ職場なのに、楽しく働けた職場が、つらい職場になってしまった。会社が突然ルールを変えてきても守らないといけない。部署単位では、上司ひとりの不機嫌で変わってしまう。雇われている僕は何もできない。異を唱えることはできるが、多勢に無勢だ。

 

雇われて働くのは、もうイヤだ。


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無職と会社員の対話

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これは30過ぎても定職に就かず、親のすねをかじって暮らす男と、その友人との対話である。友人は会社に勤めている。

 

***

 

「久しぶりだね。今は何をしてるの?」

「何もしてない」

「ポスティングは?」

「やめた」

「無職か」

「無職だ」

 

「どうして働かないの?」

「働きたくないからだよ」

「働かなければ家も借りられないし、食べられないじゃないか」

「実家にいればいい。食事ももらえる」

 

「親は何も言わないのか」

「言うよ」

「いづらくないのか」

「いづらい」

「だったら家を出たいと思うだろう」

「思う」

 

「それなら、なぜ出ない?」

「出るには金がかかるだろう。僕には金がない」

「働いて稼げばいいじゃないか」

「働きたくないんだよ」

 

「じゃあ、この先もずっとこのままでいいのか」

「この先というのは……」

「40歳、50歳になっても今のままでいいの?」

「そんな先のことはわからない。今働きたくないのだ」

 

「君が50になったら、親御さんは80だ。80の老人と一緒に暮らしたいか?」

「暮らしたくない」

「そんなら働いて、脱出した方がいいじゃないか」

「働きたくないんだよ」

 

「どうしてそう、働きたくないのだ」

「やりたい仕事がない」

「どういう仕事ならやりたいのか」

「どういうものもない」

「それでも働かないと、稼げない。老いた親と同居することになる」

「それはイヤだなあ」

 

「働くのもイヤで、実家暮らしもイヤ。君はどうしたいのだ」

「働かずに実家から出られたら良い」

「誰かに頼めば転がり込ませてくれるんじゃないか」

「実際、うちに来ないかという話はあった」

「いい話じゃないか」

「僕は個室がないとイヤなんだ」

「贅沢なやつだ」

「体質だからどうにもならない」

 

「相部屋に住むぐらいなら、実家のがマシというわけか」

「そうだ」

「だったら実家は割合に快適なんだな」

「苦痛だよ」

「本当に苦痛なら脱出してるよ」

 

 

***

 

「君はなぜ働いてるの?」

「なぜって、学校を出たら働くものだ」

「どうしてそう思った」

「どうしても何も、それが常識じゃないか」

 

「常識でも、したくないことをするのはイヤじゃないか」

「そりゃイヤだが、自分の自由になる金があるのは良い」

「君は自分の自由になる金がほしくて働いているのか」

「そうだ。欲しいものを買えるし、行きたいところに行ける」

 

「それが目的で働き始めたの?」

「働き始めたのは、そうするのが当たり前と思ったからだ」

「すると働いているうちに、働く理由を見つけたわけだ」

「まあそうだな」

 

「僕も君のようになれるだろうか」

「さあ。人それぞれだ」

「僕もアルバイト経験ならある。お金を得る喜びは知っている。でもその喜びより、働きたくない気持ちが勝ってしまうんだ」

「それはわかる。僕もしょっちゅう辞めたくなる」

 

「どうして辞めずに済んでいるんだ」

「土日に遊ぶことを考えると踏みとどまれるね」

「ライブに行くのが好きだったね」

「そうだ。仕事を辞めたらライブに行けなくなってしまう」

 

「僕は別にライブなんか行きたくないからなあ」

「旅行でもしたらいいじゃないか」

「働いてまでしたいことでもない」

 

「いずれにしろ、今のままでいいとは思わないんだろう?」

「思わない」

「だったら何かするといいよ。1日だけのバイトもあるだろう」

「経験済みだよ。苦痛だからイヤだ」

「苦痛なのは仕方がない。1日働いて、その給料で温泉でも行ってきたらいい」

「特に行きたくもないが……」

「行けば得るものもあるよ」

 

「僕はかつて30万貯めたことがある」

「映画を観たり、アニメグッズを買ったりして消えたんだろう」

「そうだ。旅行なんか行っても、あれと変わらんだろう」

「それはいつの話だ」

「3年前だよ」

 

「今はまた違う感想を持つかもしれない」

「同じかもしれない」

「やってみなきゃわからんよ」

 

「そうか……」

「そうだよ」

 

「じゃあちょっと仕事を探してみるか……」

「それがいい」

 

しかし彼は働き出さなかった。


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真面目では生き残れない

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タウンワークを見ていたらデータ入力の仕事があった。時給1500円、11月末まで、週3日5時間から可。

 

これなら働けるのではないかと思った。データ入力の経験は何度かある。

 

それでも迷うのは、働きたくないからだ。働いて何になる。時給1500円で週3日・5時間だと、月収10万ぐらいになる。

 

10万も稼いでどうするのか。

 

お金はあったらあったで使う。映画を観たり、本を買ったり、遠くへ出かけたり。

 

でも、ないならないで使わないのだ。映画は観ない、本は図書館で借りる、外出は自転車で行けるところに限る。

 

***

 

「労働は苦役である」と僕はよく言う。

 

これは認知の歪みだという意見もあるだろう。少なからぬ人が労働に喜びを感じている事実がある。労働によって人とつながることができる。人の役に立つことによって自己肯定感が高まり、精神が安定する。

 

上記のような作用は僕にもわかる。人との関わりによるセラピー効果は大きい。ただ、悪い作用もまた強い。

 

1人にいじめられてしまったら、10人に良くされてもダメなのだ。人の精神は1人にやられてしまう。何年経っても消えぬトラウマになってしまうこともある。

 

新しい仕事に就くということは、大きな賭けだ。もしかしたら楽しく働けて、お金も得られて、精神の健康を得られるかもしれない。でも、一度ひどく怒鳴られて、癒えることのない傷を負わされるかもしれない。

 

***

 

雇われて働くということは、命じられた時間から命じられた時間まで、命じられた場所で、命じられた作業を行うことだ。幾重もの命令で構成されている。

 

これを一番よく守れるのは機械だろう。遅刻せず、怠けず、常に一定の成果をあげる。機械のようであればあるほど、優秀な労働者とされる。

 

こんな世界に住まわされたら、ストレスでおかしくなるのは当然だ。だから、いじめる人間や怒鳴る人間が現れてしまうのだと思う。

 

雇われ労働とはこうしたものなのだ。こういうものを、週3日・3ヶ月も続けられるものだろうか。僕は機械のようになれるだろうか。

 

***

 

最初から、すぐ辞めるつもりで行けばいいのかもしれない。労働を続けるには不真面目さが必要だ。

 

雇われ労働は、監視する人間の目をごまかせる人が有利だ。見えないところでも働いてしまうと、バテてしまう。その結果、大事なところで力を出せず「使えない」という評価を得てしまう。

 

だから、雇われて働き続けるには不真面目でないといけない。真面目に働いていいのは、強靭な心身を持つ者だけだ。人に何を言われても右から左に流せる人間でないと、心身をやられてしまって、病気退職へと追いやられる。

 

真面目な人ほどニートや引きこもりになりやすいことは、よく知られている。しかし往々にして

 

働いていない→怠け者→不真面目

 

と解釈されて「真面目に働け」と叱られがちだ。そうした叱責を、真面目人間は真面目だから真に受けて、また真面目に働き出し、敗れ去っていく。真面目だから自分で自分を責めて、心を病んでいく。

 

七転び八起きという言葉があるが、7回も転んで平気であるはずがない。強がってはいけない。

 

心身をどうやって守っていくか。真面目では身が持たないのだから、不真面目になるしかない。

 

***

 

ただ、真面目も不真面目も性格だ。元来が真面目なら、真面目を活かす方がいい。

 

真面目な人は雇われ労働には不向きだ。だからできるだけ避けた方がいい。でも雇われが無理な人が自営業に向いているわけでもない。どちらにも向いていないことも多いだろう。

 

人や国に養ってもらう生き方もあるが、真面目な人はそれでも苦労してしまう。「自分は養われているダメ人間」と自分を責めてしまうのだ。だから、まずは自分でできることをやり切るのがいいだろう。

 

真面目な人間が、そのままで生きていければいいと思う。

 

***

 

この記事は下記のラジオ(ツイキャス)で話したことを元に書いた。

働く理由、労働は命がけ、真面目では生き残れない【2018-276】あぎるラジオ【8/30】 - YouTube


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お金がないので徒歩旅行

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お金はないし体調も悪い。

 

でも歩くのはタダだし、夜中は少し調子がいい。それで徒歩旅行に出ようと思った。行き先は、8キロ先にある隣の市。

 

具体的には西武新宿線・新所沢駅から西武池袋線・入間市駅まで。およそ8キロ。

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深夜2時過ぎに出発。同時にツイキャスも開始。

 

気温28度、湿度70%。蒸し暑さで倒れそうだった。体調はいつもより悪かった。引き返そうか悩みながら、トボトボ歩き始めた。

 

2時38分、緑町三丁目交差点を右折

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ここからは国道463号線をひたすら直進。

 

2時48分、小手指駅入口交差点を通過

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3時15分頃、所沢市を抜けて入間市に入った。

 

3時22分、リサイクルショップ「ぐるぐる大帝国」入間店

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24時間営業の店。トイレを借りる。水道の勢いが強すぎて、手を洗ったら上半身がびしょ濡れになってしまった。

 

3時52分、武蔵藤沢駅を見下ろす陸橋

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このあたりで左足が痛くなったが、次第に感じなくなった。

 

4時16分、彩の森入間公園

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ベンチで休んだ。空が白んできた。早くも散歩している老人が何人もいた。蚊が来たので出発。

 

4時36分、入間市役所

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このあたりでツイキャスにコメントが来た。2時間30分やってきて初めて。「しんとこから入間まで歩くなんてすごい」という内容だった。とても嬉しかった。人にほめられると元気が出る。下り坂ということもあって、足取りが軽くなった。

 

セミも元気に鳴き出した。

 

4時44分、ユナイテッドシネマ入間。

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入間市自慢のシネコン。所沢になくて入間にあるもの、それがシネコン。「まどか☆マギカ」や「ガルパン」の映画はここで観た。初4DX体験もここ。思い出深い。

 

5時00分、入間市駅

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ゴール。すっかり明るくなっていた。

 

ペデストリアンデッキから朝日を拝んだ。

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5時29分発の電車に乗った。始発の次の電車だが、ホームには既に多くの人がいた。空席がないのではと心配になったが、そこまでではなかった。

 

5時50分頃、所沢駅で下車

西口にペデストリアンデッキができていた(8月1日供用開始)。

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まっすぐ帰ると父の出勤準備とぶつかって面倒なので、プロペ通り(駅前の商店街)のマクドナルドで時間をつぶすことにした。

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100円のホットティーを飲みながら、今回の旅の記録を書いたり、スクフェス(スマホゲーム)をやったりして過ごした。店内(3階)はガラガラで快適だった。7時頃、退店。

 

7時30分頃、帰宅

風呂に入り、8時30分に就寝。歩数計を見たら2万歩を超えていた。下半身全体がくたびれて仕方がない。痛みというより、ダルさがひどかった。常に揉んだり伸ばしたりしていなければならなかった。つらかった。歩きすぎた。

 

スタートからゴールまでの音声記録(ツイキャス)は、YouTubeにアップロードしてある。

所沢~入間ロングウォーク(全6回) - YouTube


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人と会おうとすると体調が悪くなってしまう

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先日、ブログを読んだ方と会う約束をした。

 

ツイキャスも聴いてくださっており、ツイッターを見ても、僕と同じように社会に適応できないタイプ。話が合いそうだった。会うのが楽しみだった。

 

でも約束当日、起きたら異常にだるくて行けなくなってしまった。

 

だるいというのは「面倒くさい」ということではなく、頭がボーッとして、めまいもあって、起きていられないのだ。

 

こういうことは初めてではない。人と約束をすると、当日に体調が悪くなる。数ヶ月前、別の人と約束した時は、出かける前の食事でひどい胃もたれに襲われた。

 

無理して出発したが、どうしても気分が悪いのでベンチに座って回復を待った。いくらかよくなったので待ち合わせ場所に向かったが、結局ずっと吐き気があってつらかった。こんなことなら断ればよかったと思った。

 

今回の約束も、無理をすれば行けるレベルではあった。でも、上記のつらかった経験を思い出して断ったのだった。

 

「ドタキャン」というのは大いに嫌われる。ググってみたら「体調管理がなってないからだ。一週間前から体調に気をつければそうはならないはずだ」といった書き込みもあった。

 

でも僕の体調不良は、めまいや吐き気だ。前日までのおこないが原因ではない。毎日同じように過ごしていて、それまで何ともなかったのに、約束の日に症状が出てしまう。

 

当日のめまいは、空腹時のめまいと区別が難しいので、食事をとった上で判断する。それでも良くならなかった時「申し訳ないけど行けない」と連絡する。待ち合わせ時間の2~3時間前になってしまう。本当に申し訳ないと思う。

 

でもネットで調べると「体調不良なんて便利な言葉だね」「構ってちゃんだ」等々、信じないで貶す人も多い。悔しい。でも相手は自分との約束のために時間をあけているのだ。だからドタキャンは重罪なのだ。嫌味や皮肉ぐらいは甘受せねばならないと思う。

 

先に挙げた例のほかにも、体調不良を押して約束を果たしたことは何度もある。でも、それはそれでやはり迷惑をかけていると思う。口数が少なかったり、何度もトイレに行ったりして、心配をかけてしまうからだ。

 

そうすると、僕みたいなタイプは約束をしない方がいいのか。基本的にはそうだと思う。何しろ、体調不良というのは体の拒否反応なのだ。人に会うのがイヤだから、その症状は起きるのだ。

 

でも人に会うことを避けることで失うものは多い。

 

僕にも親しい人はいる。学校で人間関係を築くことができなかったので、みんなネットを通じて知り合った人だ。この人たちとも、初めは無理して会った。大いに緊張しながら、食事をしたり、出かけたりして関係を深めていった。

 

人と会うのは緊張する。何度も会って、親しくなっても緊張する。親兄弟の間柄でも緊張するくらいだ。初対面の緊張を乗り越えるのは難しい。会いたい人との約束でも具合が悪くなってしまうのは、緊張が自分の限界を超えてしまったということだと思う。

 

でも根性で何とかなる問題ではない。実際に体調が悪くなっているのだから。めまいも吐き気も気合いでは消えない。でもその壁を乗り越えることで、付き合いが始まり、人間関係が広がる。

 

人間関係など、なくても狭くても生きていける。でも、僕にとってそれは良くないと感じる。

 

僕は対人恐怖症だからだ。人間不信が底にある。これを乗り越えるには、たくさんの人の優しさに触れることが大切なのだ。人に会えば会うほど傷つくことも増える。でも同時に自分を肯定してくれる人も増える。対人恐怖は、人に会わないでいてはよくならない。だから、人に会わずに閉じこもるのはよくない。

 

体は人と会うことを拒否する。でも会わないと対人恐怖は治らない。どうすればいいのか。

 

あきらめて、一人で楽しむことなのかなと思う。人と約束して会うことはできないが、一人で楽しんでいれば、自然に人と会うチャンスが広がる気がする。

 

たとえば、いつも一人で何かのイベントに行っていれば、いつかは同好の士と「ちょっと食事でも」という機会は訪れるだろう。それは約束ではないので、事前の緊張もなく、スッと入っていけるのではないか。

 

そんな形で仲良くなった人は今のところいない。でも僕はもう、体調不良を押してまで人と会うことに疲れた。だから、これからはこの形で行きたいと思っている。

 

***

 

【この記事を書く際に参考にした本】

人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学 (文春新書 (074))

人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学 (文春新書 (074))

 

 

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