30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの32歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返す男の日々を綴っていきます。現在は週2でポスティングをやっています。

正社員になりたくない

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正社員になったら週に5日、8時間以上、働かないといけない。

 

ただそれさえ我慢できれば、大金が得られる。月に10万以上はもらえる。それだけだとフルタイムのバイトの方が高くなるが、ボーナスがあるため、年収は200万以上になる。

 

額が大きすぎてピンとこない。僕は今32歳だが、年収65万ぐらいが最高だ。夕方3時間のバイトを週5日でやっていた時の額で、月収は56万。親に3万ほど渡していたので、手元に残るのは2万。それでも使い切れなかったので貯金していた。2年半で退職したが、その頃には銀行口座に30万円以上も入っていた。2013年から2015年のことで、僕は20代後半だった。

 

月に2万でも何に使ったらいいかわからないのに、10万以上もあったら持て余すだけだ。「もしも」の時のための貯金というのは堅実だが、1日8時間・週5日の労働を耐え抜くのに、そんな曖昧な動機では続かない。

 

上記のバイトが2年半も続いたことは、今となっては不可解だ。在職中は「退職したら無収入になる。それだけは避けなければ」という思いで食らいついていた。でも無職になってしばらくすれば、そんなことは何でもなくなる。実家ぐらしだから食いっぱぐれもない。「早く仕事に就け」と親に急かされるのは不快だが、殴られるわけでもないし、追い出されもしない。実家ぐらしにとって、無職など大したことではないのだ。

 

***

 

それにしても、この時期は不幸だった。月々安定して5万円も稼いでいたが、特に何に使うでもない。余暇はネットか図書館の本を読むだけで過ぎていった。全然使わないのだ。

 

何と言っても、人間関係が苦痛だった。職場には人の悪口しか言わない男がいた。40前の肥満体で、全身から不機嫌オーラを醸し出していた。「あの野郎は本当にクソだ」とか「この職場にはクズしかいねえ」とかいう話を毎日聞かされて、僕の精神は参ってしまった。胃もおかしくなり、1日に1食しか喉を通らなかった。

 

こんなだから、13時間のバイトでも、残りの時間はグッタリしていた。無気力に過ごすことしかできなかった。貯金はどんどん増えたが、気分はドン底だった。

 

***

 

正社員の労働形態に最も近づいたのは20124月。僕は26歳。上記のバイトの前年のことで、日本郵便の「時給制契約社員」として採用された。時給は確か920円、週5日フルタイムだ。月収は13万ぐらいだったと記憶している。当初は一生懸命働いて、正社員に登用されることを目標としていた。

 

ところが、様々な不幸が重なって耐えきれなくなり、1ヶ月しか持たなかった。この時に味わった苦痛は今でも忘れられない。思い出すだけで情緒が不安定になる。

 

僕はバイクで配達する従業員として採用された。1週間の研修も受けた。それなのに、いざ入社すると、僕の運転技術は危なっかしいということで、自転車での配達を命じられた。これが大変だった。

 

郵便局から配達エリアまで4キロぐらい離れていた。起伏も激しく、自転車だと25分ぐらいかかる。そんなに遠いのに、昼には帰局しないといけない。そして昼食後、また配達エリアに向かう。25分の往復(=50分)を2回くり返すので、それだけで2時間近く費やしてしまう。

 

配達以外にもつらいことが多かった。僕は始業前にトイレに行っても、配達前にまた行きたくなる。小ではなく大だ。そのため、出発が周囲より遅れてしまう。それを咎められて、出発するまでの間、ずっと職員が後ろから付いてくるようになった。トイレに行けないようになってしまった。

 

雨の日などはカッパを着るのだが、それも職員に「遅い! もっと早く!」と叱責されながら着替えた。軍隊のようだと思った。お腹ゴロゴロのまま出発するため、いつも途中のコンビニで用を足した。

 

ある日、残業をしていて、仕事が終わったので帰る旨を班長に告げたら「残業代は15分単位だから、今帰ると損。適当に数分間作業して、分になったら帰るといいよ」と助言された。それに従い、机の上の整理整頓などをしていた。

 

そうしたら別の職員に見咎められて「そんなの今やることじゃないだろ! 残業代をもらうためにやってんだな! とんでもない奴だ! お前なんかに払う金はない! 上に言いつけてやる!」と怒鳴られた。今思い出しても震えが来る。涙が出る。それぐらいショックな出来事だった。

 

嘘つき呼ばわりされたこともあった。課長だか係長だか、役職は忘れたが、60すぎぐらいの白髪の太った男だった。新入社員の心得みたいな書類があるらしいのだが、僕はもらっていない。でもその男は「あんたはもらってるはず」の一点張り。何度も「もらってません」と言うのだが、ニヤニヤして信じてくれない。結局新たに用意してもらえたのだが、手渡した後にボソリ。「あんたがなくしたんだよ」。本当に悔しかった。

 

僕は何とか仕事を続けようとした。入社時にもらった資料に「悩み相談窓口」が紹介されていたので、そこに電話した。泣きながら、これまでに受けた仕打ちを話した。聞いてもらえてすっきりしたが、結局耐えきれず、月末で退職した。

 

退職して晴れ晴れしたかというと、そんなことはなかった。しばらく情緒不安定で、ある日、駅で初めてのパニック発作に襲われた。動悸とめまいで、立っていられない。目の前が真っ暗になった。不安でたまらなくなり、どうにかなりそうだった。ベンチで頭を抱えてやりすごしたが、本当に怖かった。郵便局でのストレスが原因だったように思う。

  

***

 

就労体験はこれだけではない。非正規での入社と退社をくりかえした。企業のインターンに参加したこともある。しかし経験を積めば積むほど、会社や職場や仕事というものに対する不快感が募っていった。 

 

なぜそんなに横柄なの? なぜそんなに怒るの? なぜ常に悪口を言っているの? なぜそんなに時間に厳しいの? なぜトイレに行っちゃいけないの? なぜ水分補給もできないの?

 

不可解なことだらけだ。会社という場所は、人間が生きるのに適していないと思った。

 

僕は非正規身分のうちに、会社で働くことの負の面を見過ぎたのかもしれない。正社員というのは、非正規以上に「会社」や「職場」にどっぷり浸かって働くことになる。非正規の短時間労働でさえ心身ボロボロになったのに、さらに深く足を踏み入れるなんて、考えたくもない。

 

***

 

ではこの先どうするのか……

 

わからない。できることをやっていくしかない。そう考えて、週2日のポスティングを続けている。出社不要で、一人でできるから、見張られることもない。怒鳴られることもない。許可なく水分補給していいし、許可なくトイレに行っていい。

 

会社に閉じ込められないというのが本当に助かる。どこを見ても人がいて、一時も落ち着けない場所で、1日中まったく興味がない作業を命じられる。それを週に5日。精神をやられて当然だと思う。

 

ポスティングは週に2日で月収1万5000円しか稼げないが、無収入よりはいいだろう。一応は仕事なので、社会とつながっている気分を感じることができ、精神の安定にも役立っている。

 

このままでいいとは思わないが、もう少しフラフラしていたいとも思う。


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ほぼ働かない30男の一週間

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(夕方に起きる日々である)

 

チラシを配る仕事(ポスティング)をしている。

 

組むのと配るのとで、1回4時間ほど。週に2度やっているので、合計で週8時間。これ以外の仕事はしていない。

 

ヒマすぎると思われるだろう。実際ヒマだ。

 

ロシア民謡に「一週間」(作詞・作曲者不詳)というのがある。今回はそれになぞらえて、僕の直近の一週間を紹介する。

 

なお、空いた時間は主にネットを閲覧している。それとスマホゲーム。読書は1日数分。トイレと歯磨き中のみだ。でも月に8冊ぐらい読んでいるので、実際はもう少ししているのかもしれない。速読はしていない。

 

食事は1日2回。17時と23時ぐらいだ。30分から1時間ぐらいかけて食べる。

 

***

 

【日曜日】

朝6時30分就寝、16時半起床。

 

1~2時間おきに尿意で目覚めた。水分を取りすぎたせいだろうか。ろくに眠れた感じがしなくてつらかった。

 

21時30分頃、気分転換に所沢プロペ商店街のゲームセンターへ。自転車で15分ぐらい。ラブライブキャンペーンをやっていて、気分が高まった。ただし一銭も使わなかった。僕はゲーセンでお金を使うことができない。1プレイ100円なんて高すぎる。

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(所沢プロペ商店街。ゲーセンが2店舗ある)

 

夜中、翌日配るチラシを組む。今回は8種類もあって大変だった。普段は4種類前後なので、ほぼ倍だ。ただ種類が多いほど報酬も増える。朝6時に就寝。

 

【月曜日】

16時起床。19時から20時にかけてポスティングを行う。終わらなかったので続きは明日。5時就寝。

 

【火曜日】

16時起床。昨日と同じく19時から20時にチラシを配る。帰りに近所のレンタルビデオ店に寄る。何も借りなかった。レンタルなんて、とんとご無沙汰している。インターネットのサイトを観ている方が面白いからだ。6時30分就寝。

 

【水曜日】

13時30分起床。居間のテレビで高校野球中継を観る。埼玉県代表の花咲徳栄高校が優勝した。県北部の加須市にある高校だ。僕の住む所沢市は県南部で、同県という以外の接点がない。そのため「県民として嬉しい」という気分はあまり湧かなかった。

 

21時30分、自転車で航空公園へ行き、散歩。自宅から10分ぐらい。公園内は人が多くて気が休まらなかった。まばらではあるものの、どこに行っても誰かが視界に入る。近くにある神社に詣で、健康と充実した人生を祈願。蒸し暑かった。

 

深夜、NHK「ラジオ深夜便」を聞きながら、翌日配るチラシを組む。キリシタン大名・高山右近についての話が興味深かった。市立図書館のサイトにアクセスし、関連本を3冊予約。5時30分就寝。

 

【木曜日】

16時30分起床。19時から20時ポスティング。帰りに神社と寺に参詣。6時就寝。

 

【金曜日】

また1~2時間おきに尿意で目覚めた。日中よりも回数が多い。寝入るとすぐ目覚めるのくり返しでつらかった。15時30分起床。18時から19時にかけてポスティング。

 

終了後、電車に乗って久米川ボウル(東京都東村山市)へ。久米川駅から徒歩5分ほどのところにある。ストラックアウトを2回プレイ(1回200円)。球速は最速で62キロだった。プロ野球選手は誰も彼もが140キロを投げるのだからすごい。

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(躍動する筆者。でも球速62キロ)

 

帰りは久米川駅を経て東村山駅まで歩いた。30分ぐらい。

 

21時に帰宅。5時40分就寝。

 

【土曜日】

15時15分起床。今日は姉の息子(甥)が遊びに来た。現在1歳9か月。テレビを観ながら踊ったり回ったり走ったり。とてもかわいい。肌がプニプニでずっと触っていたいぐらいだ。抱っこするのが楽しい。

 

姉夫婦は近所に住んでいる。用があって子供の面倒を見られない時、うちに預ける。世話はみんな母(甥っ子から見ると祖母)がやるので、僕は傍で観ているだけ。

 

ごはんを食べるのを少し手伝う。放っておくとボロボロこぼす。お椀を持ってやったら、食べ物を口に含んだままくしゃみをし、いろいろと腕にかかった。

 

甥っ子は19時に寝た。ワンワン泣いて寝るのを拒んだが、母が抱っこしてゆすってやると、1分で眠った。2時間ぐらいして様子をうかがいに行ったら、ムクリと起き上がった。そしてすぐ上機嫌で走り回る。なんて寝起きがいいんだ。

 

22時、甥っ子が帰って暇になったので外出。自転車を10分ぐらい走らせ、小手指(所沢市内)へ。駅前と西友の中を30分ほど散歩。

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 (最近歩道が整備された小手指駅北口)

 

23時30分、帰宅。6時就寝。

 

***

 

これが僕の一週間である。

 

テュリャ テュリャテュリャ テュリャテュリャ テュリャリャー

テュリャ テュリャテュリャ テュリャリャーリャー


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この生きづらい社会で、32歳まで生きられた

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先日、32歳になった。

 

今までで一番苦しい誕生日だった。数日前から「自分はこの先、ただ劣化して朽ちていくのだ」という不安に何度も押し潰されそうになった。

 

一口に「劣化」といっても漠然としている。目に見える体の劣化と向き合う内に、心が参ってくるのかもしれない。

 

「30過ぎると疲れやすくなる」という言葉をよく聞く。たぶん元気いっぱいだった人が感じるのだろう。僕はあまりピンとこない。元気だからではなく、元々疲れやすいからだ。20歳でも25歳でも疲れやすかったから、30過ぎて特に変わったとは思えない。

 

肌の劣化は数年前から感じている。張りがなくなってきた。ただ僕にとっては、それほど重大なことではない。

 

一番気になるのは内臓の病気だ。先日、左腰と左脇腹が痛くなり、結石ではないかと心配になった。これは前に書いた。

 

上記の記事を書いた後、泌尿器科で診てもらった。異常はないとのことだった。整形外科でも問題なし。内科にはまだ行っていない。

 

少なくとも胃は悪いと思う。これはもう10代からだ。中学3年あたりから消化機能が弱くなった。食べてすぐ走り回るなんて芸当ができたのは15歳までだ。以降は常にうっすら気持ち悪い日々。いつも胃の存在が気になる。

 

こんなだから、30前になって「油っぽい物が食べられなくなった」だの「肉より野菜が好きになった」だの言い出す連中には共感できない。それまでどんだけ健康だったんだよ。そんなの、こちとら中学生からだっての。

 

酒もタバコもやらない。コーヒーもジュースも飲まない。冷たいものはすべて敬遠している。飲み物と言えば温かい無糖のお茶だけ。それにもかかわらず、いつも気持ち悪く、いつも軟便だ。

 

問題点は、甘いものが好きなところ。甘い飲み物は苦手だが、甘いお菓子は好きで、菓子パンなどは1日1~2個食べてしまう。これがすべての元凶なのだろうか。あまりにもひ弱すぎる。体というのは、そんなに毒物に神経質なのか。一滴の毒物でアウトなのか。つらすぎる。

 

でも、最大の悪は昼夜逆転生活なんだろうなあ。これとの闘いも以前書いた。

 

あとは精神的なものだ。自分を取り巻く環境に、思春期以降ずっと適応できていない。昼夜逆転だって、この世界に生きるのがつらいから陥るのだ。社会と合わないから、社会が眠る夜にしか生きられない。昼は自分をいじめる「社会」という化け物が暴れ回るので、眠ってやり過ごす。うつ病患者が昼夜逆転するのはこのためという。

 

僕は昼に起きていた方が体調がいい。だから戻したい。でも戻したところでどうなる。

 

ここにいつまでも健康になれない答えが隠されている。健康自体が目的だと、健康にはなれないのだ。何かをすることが目的でないといけない。ただネットサーフィンして暮らしている人が健康になったところで、変わらずネットサーフィンするだけだ。ネットサーフィンは病気でもできる。だから健康になりたいという意志を貫くことができない。

 

まずは意欲を持つことなのだ。

 

働くことに意欲を持てれば、社会に適応した健全な人間が完成するのだが、これは僕には無理だ。何度も挫折してわかった。仕事という化け物が強いてくる数々の苦痛に、僕の心身は耐えることができない。

 

もう仕事との適応はあきらめて、遊びの方面で何か意欲を持つ。これが僕の進むべき道であるように思う。

 

現代の日本社会は出来損ないだ。あまりにも息苦しく、あまりにも生きづらい。こんな世の中でよく32歳まで生きられたと思う。たぶん、運がいいのだ。様々な幸運に恵まれた結果、死神からの誘いに乗らずにここまで来られた。

 

この先も生きていける自信はない。これだけ体調が悪いと、余命宣告を受けても「やっぱりな」と感じそうだ。一般的な同世代よりは落ち着いて受け入れられそうな気がする。

 

しかし、もしそうした病気がないのであれば、もう少し生きていたい。まずは次の誕生日が目標だ。

 

今これを読んでいるあなたも苦しいと思うけど、僕の何倍も苦しいかもしれないけど、何とか生きてほしい。

 

もし良ければ、同じ舟に乗って、のんびりと景色を楽しみながら漂っていこう。別に漕ぐ必要はない。川はいつでも流れている。舟は勝手に進むのだ。


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池袋と新宿 ~西武沿線民の感覚~

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(新宿駅西口の高層ビルからの眺め)

 

池袋と新宿。

 

西武沿線民(新所沢在住)の僕にとって身近な繁華街だ。共に西武線1本で行ける。

 

池袋は地方都市のようだ。後述する新宿と比べると繁華街の範囲が狭く、また街の性格があまり分散していない。遊びの街に特化されている感じがする。

 

まずは東口。ここからサンシャイン60までは歩いて10分ほど。この間の繁華街が池袋のメインストリートだ。ファストフード、ファミレス、ゲームセンター、アニメショップ等、中高生から楽しめる店が並ぶ。一帯がアミューズメントパークという感じだ。

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(サンシャイン60通り)

 

一方、西口には東京芸術劇場があり、少し歩けば立教大学に着く。そう書くと文教都市のようだが、駅前は歓楽街で、特に北側は夜のお店が建ち並ぶ。

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(東京芸術劇場) 

 

 

***

 

続いて新宿。

 

僕にとって新宿は映画館の街だ。西武新宿で降りて、サブナード(地下商店街)を通り、新宿ピカデリーへ。2015年は「ラブライブ!」の劇場版にハマり、20回ぐらい観に行った。おかげでサブナードは通学路・通勤路のような馴染みの道となった。

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(新宿ピカデリーのロビー)

 

新宿には映画館が多い。ピカデリーのほか、TOHOシネマズ、バルト9、テアトル新宿に行ったことがある。

 

映画を終電ギリギリまで観て、早足で西武新宿へ向かう。夜の新宿は酔っぱらいが騒いでいる。外国人もたくさんいる。カオスだった。

 

***

 

新宿は池袋よりも、街の顔が多い。池袋は総じて「アミューズメントの街」という感じだが、新宿はそうではない。西口はビジネス街で、何といっても都庁がある。何か威厳を感じる。

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(東京都庁)

 

池袋も新宿も雑多だが、内容が違う。池袋は娯楽に傾いているが、新宿の場合は拡散している。デパート、飲み屋、ビジネス、官庁……。

 

池袋は総じて若者の街と感じる。十代の街とも言いたくなる。一方、新宿は全年齢。大ガード横の思い出横丁など、完全におじさんのテリトリーだ。

 

デパートも、池袋は東武と西武。新宿は小田急・京王・伊勢丹・高島屋。ここからも若者と大人という感じがする。

 

僕は30代だが、池袋の方が落ち着く。都会っ子ではないから、あの地方都市臭さにシックリくるのだ。東口からサンシャイン60まで歩けば「池袋に行った」と言えるコンパクトさが好ましい。オタクだから、アニメショップがたくさんあるのも嬉しい。

 

とはいうものの、新宿が合わないわけでもない。

 

何と言っても、西武新宿駅が好きなのだ。この駅は起点のわりにコンパクトで、混雑しない。新宿駅から500メートルほど離れていて、実質のターミナルが隣りの高田馬場にあるためだ。

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(西武新宿駅)

 

上りでは高田馬場で大半の乗客が降りるため、西武新宿までの3分ほど、車内はガラガラ。帰りは出発間際の急行でさえ空席がある。各停の乗車率は推して知るべし。大都会・新宿にありながらこの有様。

 

西武新宿駅は、いつでも余裕を持って乗り降りできる。新宿散策の始まりと終わりはいつも快適というわけだ。

 

僕の新宿好きは、西武新宿駅の不便さのたまものなのだ。


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新所沢で一人暮らしをする計画

僕は実家ぐらし。最寄り駅は西武新宿線の新所沢駅。

 

この街の記事は以前書いた。今回はそのアップデート版で、最新情報を盛り込んだ。それに「一人暮らししたい」という個人的欲求を交えた記事となっている。一部内容の重複があるが、何分小さな街ゆえ、やむを得ない。ご了承願いたい。

  

新所沢のメインは駅西口だ。パルコにツタヤにネットカフェ。楽しいものはみんな西口にある。

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(楽しい西口)

 

一方、東口。

 

自慢できるのはコモディイイダ(スーパー)とゆうちょATMがあることぐらい。それなのに寂れた歓楽街があって夜の風紀は悪い。路上喫煙の男どもが客引きをしていて鬱陶しい。

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(件の東口歓楽街)

 

そんなデキの悪い東口の駅前に、先頃セブンイレブンができた。今年5月31日のことだ。以前は三井住友銀行が入っていた。2階にイートインもあるので、バスを待つ人は重宝するだろう。そばにあるミスタードーナツは客を取られて売上が減っているかもしれない。

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客を取られるといえばサンクスだ。このセブンイレブンの隣りにある。この先も共存できるのだろうか。もはや風前の灯に見える。

 

消えてしまった灯もある。西友所沢花園店だ。駅東口から徒歩8分。上記セブンイレブンがオープンした日に閉店した。今は隣りのドラッグストアもろとも空き地になっている。

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(在りし日の西友所沢花園店)

 

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(現在)

 

ただ来年5月には跡地にヨークマートができるそうだ。それも2階建て。楽しみだ。

 

***

 

新所沢にはスーパーがたくさんある。

 

西口には駅ビル内の西友、パルコの地下、ビッグ・エー。少し離れたところには別の西友(所沢榎町店)もある。

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(ビッグ・エー)

 

東口にはコモディイイダ、ヤオコー、コープ。つまり西友所沢花園店がなくなっても、あまり困らないのだ。どうしても西友にこだわる人は駅ビルの西友に行けばいい。

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(コモディイイダ)

 

スーパーがやたらにある街、新所沢。

 

***

 

スーパーの話はそれぐらいにして、一人暮らしについて書かねばならない。タイトル詐欺になってしまう。

 

僕は実家を出ることを夢見ている。でも苦労はしたくない。そうなると、実家の近くが一番だ。引っ越しが楽だからだ。数百メートルぐらいなら、自分ひとりで荷物を運べる。引っ越し後に実家に出入りできるのも嬉しい。消耗品を融通してもらうこともできる。

 

調べていないが、おそらく西口よりも東口の方が家賃が安い。東口は駅から離れるほど不便な田舎になるのに対して、西口は離れても小手指(西武池袋線)という別の街に近づくだけ。よって安くならないと思われる。

 

つまり、家賃を安く抑えたいなら、東口から遠く離れた田舎となる。ただそちらはアパート自体が減っていくので、本当に安くなるかどうかは知らない。

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(新所沢駅東口から徒歩15分ほどのところで撮影)

 

***

 

視点を変えて隣の駅を見てみる。航空公園駅だ。駅間が1.2キロしかないので、歩いても15分ぐらい。駅名の由来となった所沢航空記念公園は緑豊かな気持ちのいい公園。面積は50ヘクタール(東京ドーム11個分)もあって非常に広々としている。ただ官庁街で店があまりない。買い物に不自由する街だ。

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(心休まる所沢航空記念公園)

 

もう一駅行くと所沢。市内どころか近隣最大の繁華街を擁し、交通の便もいい。おかげで家賃も高め。再開発中なので、これから更に上がっていきそう。そうなると、僕のような稼げない人間は周辺の街に住んだ方が良さそうだ。

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(所沢駅前)

 

そこで再び新所沢が浮上する。所沢の周辺にある便利な街の筆頭なのだ。

 

やはり住むなら新所沢だ。


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僕が西武ファンになるまでの話 

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(写真は西武ドーム。西口文也投手の引退セレモニー前に撮影。2015年9月28日

 

僕はプロ野球・埼玉西武ライオンズのファンだ。

 

今回はそこに至るまでの話をしたい。西武ファンだけでなく、ひいき球団を決めかねている人の参考にでもなれば嬉しい。

 

***

 

まず野球との出会いについて。小学4年の頃だ。

 

僕は1985年の生まれ。92年4月に小学校に入学した。2年生の頃、Jリーグが開幕し、日本中でサッカーフィーバーが巻き起こった。周りの男の子は、こぞってサッカーファンになった。誰も野球の話なんかしていない。みんなJリーグチームのマスコットが描かれた野球帽をかぶっていた。

 

小学3年の終わり頃、友達とキックベースで遊ぶことになった。ところが僕はルールをまったく知らない。おかげで足手まといになってしまい、悔しかった。これが野球少年になるきっかけだった。

 

春休みを迎え、選抜高校野球が始まった。テレビ中継を観ながら、母にルールを教わった。母は特に野球ファンではないが、父親(僕から見ると祖父)が野球好きだった関係で、基本的なルールは知っていた。

 

同じ頃、隣りの家に住む同い年のY君とふたりで野球をするようになった。ピッチャーとバッターしかいない野球だ。

 

母と中継を観ながらルールを覚え、友達と遊んで身のこなしを知る。学科の次が技能。まるで自動車教習のようだ。

 

選抜高校野球が終わらない内に、プロ野球が開幕した。当時住んでいた長野県では巨人戦しか放送されない。対戦相手はヤクルト。僕は巨人を応援しようとした。Y君がヤクルトファンだったからだ。ところが彼は巨人が嫌いらしく、いろいろと悪口を言った。それで僕もヤクルトを応援するようになった。

 

小学4年で担任になった先生は、30代後半ぐらいの男性で、野球好きだった。この人もヤクルトファンだった。先生と毎日野球の話をした。楽しかった。

 

小学5年で大阪に転校した。仲良くなった子は阪神ファンだった。でも僕は既にしっかりとした燕党だったので、宗旨変えすることはなかった。

 

大阪から甲子園球場は近い。高校野球の夏の大会を3度も観に行った。この年の決勝戦は「奇跡のバックホーム」と呼ばれるプレーが出た試合でもある。生で観られたのはいい思い出だ。

 

1度だけプロ野球観戦にも行った。場所はグリーンスタジアム神戸で、当時はオリックス・ブルーウェーブの本拠地だった。対戦相手は福岡ダイエーホークス。秋山幸二やイチローの活躍をこの目で観られて感動した。

 

小学6年で栃木に転校する。ここにもヤクルトファンがいた。黄金期だったので、人気球団だったのだ。「小早川の3連発」はこの年の開幕戦。1997年のことだ。

 

中学に上がる時、埼玉県の西武沿線の街に引っ越した。友人に連れられて、何度も西武ドームへ通った。しかし西武ファンになることはなかった。

 

松坂大輔とイチローが対決するということで日本中が注目した試合も観に行った。松井稼頭央、高木大成、森慎二らの時代だ。

 

高校に入る前、所沢に引っ越した。ライオンズの本拠地がある街だ。しかし折悪しく、野球への興味を失ってしまった。

 

このブログのメインテーマである「生きづらさ」を感じるようになった頃で、野球どころではなくなっていたのだ。来る日も来る日も悩みに悩み、宗教書と哲学書を読み漁る日々を送った。それは大学でも変わらなかった。

 

卒業して数年後、青春時代の疾風怒濤は去り、心は落ち着いていた。平和で何よりだが、物足りなさを感じるようになっていた。そこでふと、また野球を観ようという気になった。

 

その頃には所沢暮らしが長くなり、街に愛着を持つようになっていた。そこで当地に本拠地を置く埼玉西武ライオンズを応援したくなり、ファンとなった。2010年のシーズンオフのことだ。僕は25歳になっていた。

 

球団について本やネットで調べ、過去の名試合を動画サイトでチェックし、昔からの西武ファンとも話ができるぐらいになった。

 

そうして2011年の開幕を迎え、西武ドームに足繁く通うようになった。ここからの数年間は、年間20数試合も通うほどだった。

 

今年はまだ現地観戦はしていないが、ネットで毎試合欠かさずチェックしている。

 

僕がファンになってから、西武はまだ優勝していない。しかし今年はもしかしたらできるかもしれない。大いに期待している。


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酒と飲み会が嫌いだ

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僕は酒が好きではない。嘔吐をイメージしてしまうからだ。

 

高校1年の頃、通学中に道端で戻しているスーツのおじさんを目撃した。前日に飲みすぎたのだろうか。病気によるものでない。吐いているものが酒なのでわかる。

 

その他、醜態を晒している酔っぱらいを目にするたびに、酒への憎しみが募った。僕は未成年の、まだ一滴も飲んだことがない時から「将来酒は飲むまい」と決めていた。

 

***

 

父がよく泥酔状態で帰宅する。体中から酒の臭いを発していて、家中がその臭いに満ちる。大声を出したり、廊下で倒れ込んだりする。先日、意識を失って後頭部から倒れ、救急車を呼ぶかどうかの騒ぎになった。父は「大丈夫、大丈夫」と呂律の回らぬ調子で言い、すぐに寝てしまった。朝起きたら死んでいるんじゃないかと心配したが、無事だった。

 

母に暴力を振るったこともある。僕は間に入って母を守らねばならなかった。素面の時に母が強く叱ったことで、以降はくり返されなかったが、酔って物に当たる癖は依然として続いている。

 

父が酒を飲んで帰ってくる時、僕は不安になる。また暴力沙汰を起こされるんじゃないか、所構わず嘔吐されるんじゃないか、夜中に怒鳴り声で起こされるんじゃないか等々。

 

翌日尋ねると、何も覚えていないという。恐ろしい。人を傷つけても覚えていないなんて。自分は何としても酒を飲むまいと思う。

 

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少しは酒を飲もうとしたこともある。付き合い上、必要と思ったからだ。20代の中頃だった。コンビニで紙パックの酒を買い、飲んでみた。ところが、見る見るうちに不安に襲われた。これから気持ち悪くなって吐くのではないか。そう思うと恐ろしくて体の震えが止まらなくなった。

 

また、酔っ払うのが何としても嫌だった。十代の頃からあれほど嫌っていた醜い酔っぱらいに、自分もなってしまうのではないか。すぐに酒の影響を弱める方法をネットで調べた。アルコールを薄めるべく、水をガブガブ飲んだ。幸い、気持ち悪くなることも酔っ払うこともなく済んだ。

 

僕は胃が弱いのか、しょっちゅう軽い吐き気を抱えて暮らしている。嘔吐に対する不安もセットだ。だから、これ以上気持ち悪くなるのはゴメンなのだ。酒イコール吐き気、酒イコール嘔吐。頭の中でこんな図式が成り立っていて、とてもじゃないが飲む気にはなれない。

 

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飲み会というものも嫌だ。かつては友人知人を増やすべく、積極的に飲み会に参加していた。このおかげで得られた関係もあったが、いつも苦しくて参っていた。人は酒を飲むとやたらに陽気になる。僕は飲まないから陽気にはなれないのだが、周囲に合わせるべく、ヘラヘラ笑っていた。これがしんどかった。

 

飲まないだけでなく少食でもある。炭酸もジュースも好きではないので、お茶ぐらいしか飲むものがない。更に冷たいものが苦手と来ていて、夏であろうがホット以外つらい。氷無しのウーロン茶を頼み、常温になるまで待ってようやく飲み物にありつける。

 

とても居づらかった。それなのに会費を3000円も4000円も取られる。無駄に思えてならなかった。人と会えておしゃべりできるのは良かったが、デメリットがあまりにも大きい。一昨年あたりから、もう耐えられないと思い、一切参加しないことにした。おかげで誰からも誘われなくなった。つらいイベントだったので何の問題もない。これからもこの平和が続いてほしい。

 

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しかし僕はこの先も、酒を飲まない、飲み会に行かないを通して行けるのだろうか。この酒飲み大国で。酒を避けることによって孤立していく人生は望まない。

 

職場の飲み会が嫌いという人は多い。しかし僕は前述の通り、仲のいい人との飲み会も嫌なのだ。居酒屋というところが性に合わない。馬鹿騒ぎの連中が周囲にいて耐え難い。

 

「仕事の打ち上げ」なんていうのが恐ろしい。一緒に仕事をしたメンバーと飲み会をするという。罰ゲームとしか思えない。そういうのに参加しないでいい仕事でお金を稼ぎたい。そういうのをキャンセルしても生き残れる道を行きたい。

 

なお、居酒屋ではなく宅飲みならどうか。居酒屋よりはマシだが、酔っぱらいに合わせてヘラヘラしなければならないのであれば、やはりつらい。

 

僕はパーティー的なもの全般が苦手なのだ。オフ会などは趣味を語り合えるので楽しいが、それでも大人数は嫌だ。喫茶店で静かに語らいたい。せいぜい3人か4人までだ。

 

人間関係が生まれると、いずれ酒を飲む話になる。居酒屋に行かずとも、家で一杯やろうとか。こういうのが参る。どうしてこう、世の中、酒好きばかりなんだ。ウンザリする。

 

おしゃべりするのに酒などいらない。ファミレスのドリンクバーとフライドポテトで十分だ。極端な話が、喉を潤す水さえあればいい。水ならタダだ。それなのに、話すために居酒屋に行って、酒とつまみを頼んで4000円だの5000円だの。本当に耐えられない。

 

5000円と言えば、朝から晩まで労働に耐えてようやく得られる金額じゃないか。涙が出てくる。

 

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僕と仲良くなりたいが、酒好きだからダメかなと思った人がいるかもしれない。でもそんなことはない。仲の良い友人にも酒飲みはいる。酒を飲んで騒いだり吐いたりするような連中が嫌なのだ。いささか陽気になるぐらいなら何の問題もない。通常の会話が可能な程度であれば結構だ。

 

それと、僕は厳格を好まない。何事にも寛容でありたい。だから「禁酒法を施行せよ」「泥酔者を罰せよ」とは言いたくない。酔っぱらいを見ても心が乱れないようになりたいと思っている。 

 

とはいうものの、現状では酔っ払いに寛容どころではない。テレビでニヤニヤしたおじさんが「一杯やりたいねえ」なんて言って、酒を飲むジェスチャーを見せただけで、その醜さに耐えられなくて目を逸らしてしまう。

 

まあ、あまり人のことは気にしないようにして生きていこう。満ち足りた日々を送っていけば、酔っぱらいのことも気にならなくなるだろう。そう信じたい。


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