30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの32歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返す男の日々を綴っていきます。現在は週2でポスティングをやっています。

「お遍路ハウス」の説明会に行ってきた

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認定NPO法人ニュースタート事務局が取り組んでいる「お遍路ハウス」の説明会に行ってきました。

お遍路ハウス四国88 | 認定NPO法人ニュースタート事務局

 

ニュースタートでは、お遍路さんを泊める宿の管理人を募集しています。先日参加した「ニート祭り」でチラシをもらい、知りました。ニートも歓迎とのことで、無職の私は興味を持ち、説明会に足を運んだ次第です。

 

説明をしてくださったのは、ニュースタート設立者の二神能基氏。

 

***

 

お遍路ハウスは現在、四国4県で27か所。経営形態は以下の4つのうちのいずれかとのこと。

 

1、自営

2、本部(ニュースタート)直営

3、地域で運営

4、既にあるお遍路宿を引き継ぐ

 

現在は2の本部直営が一番多いそうです。

 

宿を開く期間は3・4・5・6月と9・10・11月の計7か月。

お遍路さんが春と秋に集中しているからとのこと。夏と冬は仕事がありませんが、そのまま住んでいてもいいそうです。ただしその間の給料は出ません。

 

管理人は1つのハウスに1人。今後、それで回らないような事態になったら2人送り込むかもしれないが、基本は1人とのこと。

 

どこのハウスも交通の便が良くないので、車は必須。ニュースタートで用意してくれるそうです。

 

気になる管理人の給料ですが、10万円以下だそうです。とあるハウスで1年間管理人をつとめた方は、本人の申請により、月に3万円だったそうです。それで貯金ができたということです。

 

報酬は決まっておらず、管理人募集の段階で各々が希望額を申請します。その額が少ない人を優先的に管理人にするそうです。以下、このあたりについて質問した私と二神氏とのやりとりです。

 

私「3万と言った人には3万支払われ、4万と言った人には4万支払われるということか」

二神「そうだ」

私「同じ仕事なのに金額に差が出てしまうのは問題ではないか」

二神「そういう考えの人にはこの仕事は向いていない」

 

***

 

住居費はニュースタート持ち。布団や家電は用意されている。ネットやWi-Fiは繋がるハウスと繋がらないハウスがある。つまり、かかるのは食費だけ。ですから3万で間に合うということだそうです。

 

また、儲けたいなら、自営に転じて儲ける手もあるともおっしゃっていました。

 

宿の稼働率は2割ぐらいだそうです。1か月で6日しか宿泊者がいないことになります。他の日は遊んでいていいとのこと。当然ながら赤字です。そもそもニュースタートじたいがずっと赤字だそうです。設立から今日まで、二神氏のポケットマネーで補填されているとのことです。

 

宿泊者がいる場合、管理人は朝4時か5時に起きる。お遍路さんは早朝に出かけるためです。そして午後3時や4時には次の宿泊者の受け入れがあります。その間に洗濯や掃除などを済ませる。食事はできたほうがいいが、レトルトカレーでも作れれば十分とのこと。

 

現在、管理人を探しているハウスは1か所だけだそうです。これから次々にハウスを作っていく予定なので、募集しているとのことです。

 

***

 

先の給料の話に戻りますが「月に○万円ほしい」という発想の人は向いていないとおっしゃっていました。この仕事にはニート的な感性が必要で、サラリーマンの発想に洗脳されているような人は、研修を受けてからの就労になるとのことです。以前、宿泊者にサラリーマン的価値観をもって説教する人がいたとのことで、このような処置を取ることになったそうです。ニートの中にも、社会に適応できないのに、社会に洗脳されている人がいる。頭の柔らかい人を求めているとのことです。

 

***

 

二神氏が話を終えてから、同席していた奥様が以下のような発言をされました。

 

「1年でも2年でもいいので、会社以外の働き方を体験してみてほしい」

 

これを聞いて、ここまで納得しかねていたものが氷解しました。仕事だと思うから給料が気になっていたんですね。体験と考えれば、ボランティアでもおかしくはないわけです。「これを一生の生業に」などと考えず、田舎体験みたいな感じで行くのが良さそうです。


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働きたい人は働き、働きたくない人は働かないでいい社会になってほしい

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「ニート祭り2017」の記事です。よくまとまっている。当日、僕も聴講してきた。憧れのphaさんを生で見られて良かった。

 

 

しかしコメント欄が殺伐としている。

「ニートはゴミ」だとか「死ね」だとかいう言葉が散見される。昨夜寝る前に読んでショックを受けた。ここまでの言葉は今までに見たことがなく、何が起こったのか理解できなかった。なぜなのか、なぜなのか。頭の中で疑問がグルグル回り続けた。

 

ニートに対して怒っている人は、許容する生き方の範囲が狭すぎる。「自分でお金を稼いで生きなければならない」というこだわりが強く、そこから外れている人を許せない。

 

おそらくニートに怒っている人は、仕事がツラくてやめたいのだ。自分がツライ思いをして働いているのに、それをしていない人がいる。それが許せない。

 

人は、自分が禁じていることを他人がしているのを見た時、怒りを覚える。働かないで楽になりたいから、働かないで楽をしている人が許せない

 

「税金を収めていないから許せない」という主旨の書き込みも見られる。これも同じ理屈だ。自分は収めたくないのに収めている。だから収めていない人に腹が立つ。その上、収めている自分と同じサービスを享受している。怒りの上に怒り。

 

つまり「楽をしたいのにできない。それなのに楽をしている奴がいる。許せない」ということだ。

 

でもそれなら、楽な方に来ればいいと思う。

 

少なくとも、少しでも楽な方向を目指すことだ。働かない人を責めている場合ではない。あなたが今すべきことは、あなたが置かれている状況の改善だ。

 

働くか働かないか。その人の好きなようにすればいい。

働きたい人は働けばいいし、働きたくない人は働かなければいい。

働きたくないが働かなければならない人は、少しでも楽になれる道を探ってほしい。

 

***

 

どうしたら楽になれるかは人による。

それをせずに「働いてない奴は死ね」などと言っていても何にもならない。言われた人は嫌な気持ちになるし、言った自分も嫌だろう。見聞きした無関係の者をも嫌な気持ちにさせる。そして、状況は何ひとつ変わらない。悪いことしかない。

 

「そんなこと言ってもどうにもならないんだよ。愚痴ぐらい吐かせろ」と言われそうだ。

 

あなたは働くのが大嫌いなのに働いている。だから働いていない人が許せない。

でも働かない人がいなくなればあなたは幸せだろうか。 

全員が働くようになったところで、あなたが嫌々働いている現状は変わらない。

 

***

 

働きたい人は働き、働きたくない人は働かないでいい社会になってほしい。それは、働いても働かなくてもいいという状況を手に入れることで可能になる。最低限の生活が保証されている状態だ。

 

どうしたら、その状態をつくり出せるのだろうか。今僕が抱えている課題だ。あなたも働きたくないのであれば、考えてみてほしい。


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西武国分寺線・鷹の台駅 ―自然と若者のエネルギーを感じる街―

西武国分寺線鷹の台駅

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学校が多数集まる街です。そのため駅周辺には若い人が多いです。特に女子大、女子高、女子中学があることから、女子学生が多いのが特徴です。

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(改札前にある案内板)

 

朝から夕方まで、いつ行っても学生がいます。夕方に駅から玉川上水沿いを西へと歩きますと、たくさんの学生とすれ違います。

 

中学や高校は朝に始まって夕方に終わりますので、生徒とかち合うのは主にその時間となります。しかし大学は各々で時間割が違うので、朝と夕方には集中しません。登下校の時間は授業の前後になりますので、90分おきに波が来ます。早い時間であれば駅から大学に向かう人が多く、夕方であれば帰ってくる人が多いです。

 

筆者は玉川上水沿いの遊歩道が好きで、何度も歩きに行っています。木漏れ日を浴び、川のせせらぎを聞きながらの散歩は大変に心地よいものです。それに加えて、たくさんの若い人たちとすれ違うと、生きるエネルギーをもらえます。

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(冬は葉がなく寂しいですが、川のせせらぎと常緑樹の葉のささやきが耳に優しいです)

 

31歳ですから、まだまだ若い範疇に入ると思うのですが、25歳を過ぎてから体のあちこちに不調が出始め、30歳を過ぎると更に顕著になってきました。それに従い、子供や若い人を見ると、既に自分はそちらではないと感じるようになりました。その若々しさを見るにつけ、エールを贈りたい気持ちになります。「ツライことも多いだろうけど、乗り越えてくれ」と。

 

若い人たちは概して騒がしいです。かつてはイライラしたものです。でもそれが近頃では好ましいものになりました。若い人の騒がしさというのは生きる力の象徴です。去年からは、あえて大学の学食に行くようにもなりました。ご飯は二の次で、若い人たちのエネルギーに接したいという気持ちが一番大きいです。

 

自分が学生の頃にはちっとも気付きませんでしたが、中高生や大学生というのは、いるだけで光を放っているのですね。それは男女を問いません。友達同士でふざけ合い、笑い合っている姿など、生命力にあふれています。

 

少しほめ過ぎな気もします。玉川上水沿いの自然が、彼ら彼女らを輝かせて見せるのではないかと思います。

西武新宿線・入曽駅レポート ―歴史の東口、茶畑の西口―

西武新宿線・入曽駅。

 

新所沢駅と狭山市駅の間にあります。所在地は埼玉県狭山市

 

東口と西口がありますが、まずは東口で降りてみます。

駅前にロータリーはありません。目の前に建物が迫っていて狭いです。市は再開発しようとしたのですが、地権者と折り合いがつかずに頓挫しました。

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(入曽駅西口。地上改札です)

 

和歌に「ほりかねの井」というのがよく出てくるそうです。ご存知でしょうか。筆者は不勉強で知りませんでした。「井」とは井戸のことです。ただしそういう名前の井戸があるわけではないとのことです。「ほりかね」は「掘りかねる」から来ていて、水の乏しい地域であるこのあたり一帯の複数の井戸を指すようです(諸説あります)。

 

七曲井(ななまがりのい)は、その井戸のうちのひとつ。駅から徒歩7分ほどのところにあります。

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まっすぐ掘っても水が出ない。もっともっと深く掘らねばならない。それでこのような形状の井戸が掘られたとのことです。

 

【参考】七曲井 狭山市公式ウェブサイト

 

***

 

すぐ近くに「あづま園レジャーセンター」という遊興施設があります。アーケードゲームあり、釣り堀あり、バッティングセンターあり。何でもありです。

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有名人のサインがたくさん掲げられていました。所沢に隣接している土地柄、埼玉西武ライオンズの関係者のサインが多かったです。ただサインは字を崩して書きますから、ほとんど誰のものかわかりません。唯一わかったのは潮崎哲也氏のもの。黄金時代に活躍した投手です。切れ味抜群のシンカーは魔球と呼ばれました。今はライオンズの二軍監督を務めています。ちなみに氏は現役時代からずっと所沢市在住です。

 

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 (かなり古いゲームが現役で稼働しています)

 

【公式サイト】あづま園レジャーセンター

 

***

 

以上は東口。続いて西口について。

 

このあたりは西武池袋線が近くを並行して走っており、同線の武蔵藤沢駅まで徒歩30分ほどで行けます。

 

西口は本当に何もありません。あるのは民家と茶畑ばかり(狭山市は入間市、所沢市に次ぐ狭山茶の産地です)。集合住宅は少なく、一軒家が目立ちます。そしてどのお宅も大きい。駅前に何もなくても、駅のすぐそばで大きな家に住めるなら悪くないかもなぁ。そんなことを考えました。

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(改札を出て1分でこの景色!)

 

そして入曽駅と武蔵藤沢駅の中間に住めば、西武池袋線と西武新宿線の2路線が使える。畑ばかりの土地ですから土地も家賃も安いでしょう。都心に向かう場合、小手指や新所沢で始発電車に乗り換えればラッシュ時にも座れます。

 

住まなくても、駅前から茶畑が広がる世界は散歩にはいいですね。駅前の商店街を通り過ぎて徐々に民家がまばらになり……ではなく、改札を出たらすぐ茶畑。また散歩に来ようと思います。のどかさを味わいに。

 

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(武蔵藤沢駅。2008年に駅舎も駅前も新しくなりました)


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西武新宿線・狭山市駅西口 ―ダイナミックな高低差を味わえる街―

西武新宿線狭山市駅

 

所在地は埼玉県狭山市入曽駅新狭山駅の間にある駅です。今回はその西口にスポットを当てます。数年前の再開発で激変しました。街というのはこれほど変わるものなのかと驚きました。

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 (現在の狭山市駅前)

 

駅前ロータリーを過ぎると下り坂になり、およそ1キロ先の入間川まで続きます。歩いて10分ほどですね。筆者の住む新所沢は平らな街なので、それだけでも異郷に来たような気分になります。かつては改札の目の前に商店街が迫っており、下り坂が始まっていました。

 

下り坂が一旦止む場所があります。その左右が商店街になっています。入間川七夕通り商店街といいます。しかし元気がありません。時計の針が昭和で止まっている感じです。

 

商店街を通らずにまっすぐ進むと、イオン武蔵狭山店に突き当たります(かつてはサティでした)。その先に国道16号が通っており、目の前に入間川が流れています。対岸まで200メートルぐらいある大きな川です。

 

水の乏しい所沢に住んでいる私は、これだけでテンションが上がります。近所の川といえば砂川堀ぐらいですからね。都市下水路です。自転車で10分ぐらいのところにある東川も、川幅はせいぜい数メートル。一番大きい柳瀬川は市の南部を流れており、私の生活圏外です。それさえ入間川には到底かないません。私の感覚では入間川は大河です。

 

歩道橋や橋からは富士山がよく見えました。橋の名前を見ると「新富士見橋」。さもなりなん。河川敷を歩きましたが、川の流れる音が心地よく、いい散歩道でした。

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新富士見橋近くの河川敷から撮影)

 

駅から徒歩5~6分のところに狭山八幡神社があります。境内には、新田義貞が鎌倉攻めの際に立ち寄り、愛馬を繋いだという松が残っていました。

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この神社は駅と入間川の間に位置するのですが、駅より高いところにあります。いやはや高低差の激しい街です。タモリのような高低差ファンには面白い街かもしれません。ただ住むにはどうでしょうね。入間川方面に住むと、毎日駅に通うのがしんどいんじゃないかと思います。

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 (狭山八幡神社境内から入間川方面を眺める。かなりの高低差です)

 

しかし駅前の市民交流センターは素晴らしいですね。イスとテーブルが多数あり、自由に休憩できます。私が行った時間は夕方で、高校生がたくさんいました。パソコンも数台置いてあり、申請すれば無料で使えるようです。もちろんネットにも繋げます。ニートの居場所としても結構な場所です。数年前にできたばかりなのできれいで、夜遅くまでやっています。嬉しいですね。

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狭山市市民交流センター。駅とペデストリアンデッキで繋がっています)

 

なお、東口には行きませんでした。いずれ見に行って、またレポートしたいと思います。 

昭和3年生まれの祖父の生涯

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(桐生市内にある「コープぐんま コープ東久方店」の駐車場にて撮影)

 

私の母方の祖父は1928(昭和3)年、群馬県の桐生市で生まれました。

旧制中学3年か4年の時に、海軍飛行予科練習生(予科練)に入りました。

志望理由は「白いおまんまがいっぱい食えるから」

当時の食糧難を感じさせる話です。

 

上官にはよく殴られたそうです。

以下は祖父のお気に入りの話。何度も話してくれました。

 

山口県の海で、上官に海水を舐めるよう命じられました。

そして「どんな味だ」と尋ねられます。

祖父は「しょっぱい」と答えたそうです。

そうしたら殴られたとのこと。

「しょっぱいとは何だ。海の水は辛いんだ」

と怒鳴られたそうです。

 

「しょっぱい」というのは今でこそ共通語のごとく

日本中で使われていますが、元々は関東方言です。

上官は西日本の人だったので、関東方言に腹を立てたというわけです。

 

***

 

祖父の家には、錨(いかり)のマークが描かれた金属製の器がありました。

米びつに入れられていて、祖母はそれでお米を測っていました。

この器が、祖父が海軍時代に使っていた茶碗だったそうです。

終戦から50年以上も、日本海軍の茶碗が現役だったというわけです。

 

終戦は17歳の頃。

鹿児島県の知覧で迎えたそうです。特攻隊員でした。

零戦に乗って飛行の練習をしていたそうです。

「あと1週間、終戦が遅かったら敵艦に突っ込んでいた」

と語っていました。

 

終戦後はしばらく荒れていたそうです。

 

昭和29年に私の母が生まれていますので、

結婚はその前年ぐらいでしょうか。25歳ですね。

 

桐生の人らしく、織物の会社で働いていました。

詳しいことはわからないのですが、職人的な仕事だったみたいです。

また書道の免許を持っており、自宅で教室も開いていたようです。

 

私は昭和60年生まれですので、年の差は57歳。

老人になってからの祖父しか知りません。

 

酒もタバコも大好きな人でした。

若い頃は女遊びもやって、祖母を困らせたようです。

車を乗り回すのも好きだったようですが、

しょっちゅう違反をするので祖母が禁じたとのことです。

 

***

 

私が中学生の時のことです。

祖父と一緒に歩いていたところ、車道を斜め横断し始めました。

私は「あぶないよ」と言うのですが、祖父は

「(警笛を)鳴らされるまではこちらに権利がある」

と言って悠々と渡りました。

 

良くないことですが、私は祖父のこういう不良っぽいところが好きでした。

歩くスピードが速く、運動部に所属していた私がへばって

「もっとゆっくり行こうよ」と提案するぐらいでした。

老いてもロクに病気もせず、元気でした。

 

***

 

2014年4月、86歳で亡くなりました。

特に大きな病気もなく、突然のことだったので驚きました。

いつものように祖母と一緒にお昼ごはんを食べ、

日課の昼寝に入り、そのまま起きなかったとのことです。

 

病院に運ばれましたが、もう既に亡くなっていたようです。

満足そうな顔だったといいます。

苦しんで亡くなったのではないようです。

 

80過ぎて大した病もなく、介護も受けず、

お腹いっぱいで昼寝に入って、苦しまずに永眠。

いい死に方だと思います。

 

最後の昼食を終えた後、祖母に

「お母さんの料理はいつもうまい。

こんなにうまいものを食べてこられて良かった」

というようなことを言ったそうです。

それまで、こんなことは一度も言わなかったそうです。

別れのあいさつだったのでしょうか。

 

***

 

女、酒、タバコで祖母を困らせたのは良くないですが、

楽しく生きた人という印象を受けます。

基本は真面目で、人からも慕われていたようです。

 

しかし貯金も残さず、菩提寺もなかったことから、

彼の死後、祖母や母は苦労しました。

自分が死んだ後のことをあまり考えてなかったようです。

 

いろいろと困ったところもありますが、

私はこういう人が祖父であったことを嬉しく思います。

石部金吉よりよほど面白い。

 

私も祖父のように死にたいです。

 

***

 

↑この本の「ユキ」こと荒木幸雄さんは群馬県桐生市出身です。祖父と出身も年齢も同じ特攻隊員。ということで祖父の生前に「ぜひ読んでほしい」と渡された思い出の1冊です。


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自分のことを何と呼ぶか ―男性の一人称問題―

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自分のことを何と呼ぶか。31歳の今でも悩む。

 

公的な場面では「私」ひとつで済むが、一歩そこから離れると難しくなる。職場では「私」で良くても、退勤後の同僚との飲み会でも「私」だったら堅苦しい。

 

***

 

小学校1年の途中までは、一人称は自分の名前だった。周囲が「○○くん」と呼ぶので、自分でもそのように呼んでいた。ところが小学校に上がると、友達から変だと言われる。

 

しばらくは自分の顔を指差してごまかしていた。

 

母親に相談したら

「『オラ』でいいんじゃない?」

と言う。孫悟空(『ドラゴンボール』)や、野原しんのすけ(『クレヨンしんちゃん』)の一人称だ。

 

しかし「オラ」なんて誰も言ってない……。結局、周囲で多数派だった「俺」にした。

 

***

 

そのまま時は流れ。

高校で転機が訪れる。不登校になり、本の虫になったことだ。

 

読む本は主に小説以外。著者の一人称は「私」か「僕」だ。本でわざわざ「俺」なんて書く人はまずいない。不良キャラの人ぐらいだ。

 

小説だと、様々な一人称の人物が登場する。知的な男性が好きだったので「僕」に惹かれた。

 

当時の手記を読むと、当初は「オレ」と書いていたものが、次第に「僕」へと変わっていっている。

 

***

 

文章の上では「僕」になったが、会話の上では「俺」のまま。大学に入っても変わらない。ただずっと違和感があった。

 

当時「自分は知的キャラである」と思っていたので、自分を「俺」というのは嫌だった。「『俺』と言う男は粗野。自分はそうありたくない。『僕』で行きたい」と思っていた。

 

そこで大学2年あたりで「僕」と言い出した。でも違和感が強すぎて、長続きしなかった。

 

大学3年あたりで、周囲に変化が訪れる。ゼミなどで発表する際の男子学生の一人称が「僕」から「私」に変わっていった。就職活動の影響かと思う。僕も発表の場では「私」と言うようになった。

 

それでも日常生活は別だ。一般の男子学生は、普段は「俺」のまま。ところが僕は普段から「私」と言いたくなった。

 

しかし男性が親しい人にも「私」ではおかしい。とすると私は「俺」「僕」「私」も使えない。

 

結局、消去法で「自分」と言うようになった。うちの母がよく「自分は」ということがあり、その影響もあった。

 

***

 

ただ、ずっとしっくり来ない。

 

たとえば、友達とおしゃべりしている時に「あはは。自分じゃないよ~」と笑いながら言えるかどうか。何か違和感がある。「俺じゃないよ」「僕じゃないよ」などと比べると、どうも感情を乗せづらい。「自分」という一人称は、くだけた場面との相性が今ひとつだ。

 

また、関西では「あなたではないの?」と言う時に「自分ちゃうん?」と言う。「自分」は二人称。だから関西ではますます使いづらい。まあ関東在住なので、そこは考慮しなくていいけど。

 

あとは、子供相手にどうするか。

 

子供に「おじさん、俺、間違ってる?」と聞かれたとする。それに対して中年の僕は「いや。自分はそれでいいと思う」と答える。

 

うーむ。やっぱり何か変だ。とにかく「自分」は使い勝手が悪い。さりとて代わりはない。

 

ただ「俺」か「僕」かの二者択一だったら「僕」にする。「俺」だけは嫌だという思いが一貫してある。

 

大事なことを書き忘れていた。「僕(ぼく)」には二種類のアクセントがある。すなわち「高・低」(頭高型)か「低・高」(平板型)か。前者は子供っぽいと感じる人が多いが、後者はそうではない。僕が志向する「僕」は後者だ。

 

***

 

【余談】

今回書いてきたことは、女性にはない悩みだ。ただ女性にも一人称の悩みはある。女の子が小学校高学年ぐらいになると「ウチ」なんて言い出すのは「私」「あたし」に対する抵抗感からかと思う。

 

関西では「ウチ」もまともな一人称なのかもしれないが、関東においては思春期の女の子限定の一人称という感じだ。僕の姉もその頃には「ワシ」とか「あーし」とか、変な一人称を使っていた。

 

関東における一人称「ウチ」の女子は、高校あたりがピークで、そこから減っていくように思う。30歳で「ウチ」と言っている女性には会ったことがない。


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