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30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの31歳。埼玉・所沢在住。基本無職、たまに働く男の日々を綴っていきます。ラブライブとビートルズと西武ライオンズが好きです。

暗黒の人生にはなり得ない

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今の自分の心身が正常だとは思えない。

 

いつも頭がボンヤリしていて、物事を深く考えられない。考えようとしても頭が動かなくてもどかしい。そのもどかしい状態を続けると、不安症状が現れる。

 

だから私はしょっちゅう歩いている。歩いてさえいれば気が紛れるから。こんな風になってから数ヶ月経つ。いつ治るのだろう。

 

一生治らないということはなさそうだ。若いのに十分な思考ができないという悩みなのだから、若くなくなれば解決する。

 

この心身の不調は、単に今の社会と自分が合わないだけという気もする。もしそうなら、ただ待てばいいということになる。社会も自分も、放っておいても勝手に変わるからだ。退屈しない程度に適当に工夫してやり過ごそう。

 

ただ寝ていても社会は変わる。自分も変わる。それなら今は潜伏の時と捉えればいい。嵐の時は戸外に出ず、天候の回復を待つ。

 

一生何も成し得なかったとしても、悪くはない。体は常に動き続けている。ニートを「排泄物だけを製造している存在」と揶揄する人がいるようだが、排泄物をつくり、排泄できるというのは素晴らしいことだ。消化器や泌尿器を患った人なら必ずわかる。そんな経験がなくても、出ないこと、出せないことを想像すればわかるはずだ。私は排便後に便器に向かって合掌する。無事に排泄できたことがありがたいからだ。

 

目を外界に向ける。自然は常に変化している。それを鑑賞するだけでも楽しいものだ。春になれば木の枝からは瑞々しい青葉が芽生え、夏には鬱蒼と茂り、秋には紅葉し、冬に散る。

 

季節によって風の音も変化する。春の葉は柔らかいから、葉ずれの音はサワサワと軽い。夏は葉が厚くなるのでザワザワと重い。秋は葉の水分がなくなるのでカサカサ。そして冬は風だけがビュービューと枝と枝の間を通り過ぎてゆく。

 

毎日お日様に当たれるだけでも幸福感を味わえる。人生がただ生きながらえるのみで終わったとしても、内なる自然と外なる自然、森羅万象に対する感受性さえ失わなければ、暗黒の人生にはなり得ない。


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とある30代フリーターの学生時代

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大卒正社員歴なし、31歳まで無目的のフリーター。いったいどんな学生時代を過ごしたの?」 

 

こんなことを尋ねられたことがある。誰に言われたんだっけな……。

 

***

 

私は高校時代から大学に行きたかった。大学で勉強がしたかった。高校1年の頃から、進路室で大学のパンフレットを読みあさっていた。

 

その頃興味があったのは、キリスト教学科。最終的に仏教学科に進学することになるのだが、当時は同じ宗教でもキリスト教志向だった。

 

入学した高校は第一志望だった。しかし教師の話を一方的に聞くだけの授業が退屈でたまらなかった。加えて、集団で同じ行動をすることにも耐えられなくなった。まもなく不登校に陥り、市立図書館にひきこもって読書するようになった。

 

宗教評論家のひろさちや氏の仏教本を読みふけり、彼が客員教授をつとめる仏教系の大学に興味を持った。設立母体の中に浄土宗があったのも良かった。当時も今も私は「南無阿弥陀仏」に惹かれている。

 

志望校はその大学の仏教学科ただひとつ。推薦入試で受かった。したがって受験勉強はしていない。仏教学科などは人気がないので、例年、受験者と合格者の数が同じなのだ。

 

そうして志望した学科に入れたものの、少しも面白くない。仏教学科の教師は僧侶なのだが、嫌々講義しているように感じられた。また教室は私語が多かったのだが、それに対して教師は怒鳴ったり暴言まがいの注意をしたり。情緒不安定なおじさんばかりだと思った。僧侶が情緒不安定というのは意外だった。

 

ところが他学科の教師はそうではなかった。仏教学科がつまらなくて、他学科の講義にもぐりこむようになったのだが、そこの教師は好きで教えている感じが伝わってきて、聴講する方も身が入った。講義内容に魅力があるためか、私語も少なかった。2年に上がる時に転部試験を受けて、文学部に移った。

 

*** 

 

講義以外の時間は、相変わらず本好きだったので、図書館に入り浸った。

 

サークルに入ろうと思ったのだが、2つほど見学に行って飽きてしまった。当時はを創っていたので、文学サークルを目指した。ところが説明会で見たメンバーがニヤニヤヘラヘラしていて、こんなところに入るより、独りで詩を創っていた方がいいと判断した。

 

学生相談室が「コミュニティスペース」というのを週に2度開催していた。友だちができなくて寂しい人のための居場所だ。居心地が良かったが、話の合う男とばかり話していたら、相談員に「君たちだけで高度な話をしていると周りがついていけないので控えめにしてくれ」と注意された。それからあまり行きたくなくなってしまった。難しいことを言いたい年頃だったので、話のレベルを下げろという忠告は受け入れがたかった。

 

大学4年間を通して、基本的に孤独だった。それでいいとは思えず、いつも友を求めていた。寂しかった。友のいない自分を否定していた。それでいて、人を避けていた。友がいないと寂しいが、できそうになると嫌になった。

 

進路については、キャリア講座を1年の頃から取っていた。『面接の達人』などという本も早い段階で読んでいたし、自己分析など高校時代からくりかえしていた。

 

それでも進路未定で卒業し、今に至るまで無目的のフリーターなのだ。自己分析など、就職にはあまり役に立たないように思う。


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労働を避ける

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将来の夢。

 

小学生の頃は漫画家や、野球の実況アナウンサー。

 

中学の卒業文集には日本史の研究者になりたいと書いた。高校に入ると詩人物書きに憧れた。僧侶・神主・牧師といった宗教者にも惹かれた。

 

大学では哲学研究者を志すようになった。しかし卒業論文の制作があまりにもつまらない苦行で、もう学問は嫌だと思った。

 

それ以降、将来の夢はない。

 

文章で稼げたらいいなとは昔から思うけど、フリーライターがいいとは思えない。注文に応じて書くということをしたくない。ブログ収入で食えたらなんて思うけど、そのための努力はしたくない。

 

高校時代から体験した20以上もの仕事がすべて苦行だったので、労働に期待することができなくなった。

 

今の願いは、とにかく労働を減らすこと。労働が苦行であることは、もはやどうにもならない。目の前の仕事に集中するとか、ゲーム感覚で楽しむとか、欲しいもののために働くとか、自己啓発書に書いてあるようなことはみんなやった。労働はあくまで人にやらされる作業であり、どんなに嫌でも断ることができず、途中でやめる自由もないのだから、苦行にならざるを得ない。

 

こうなったら、できるだけ働かない生き方を選ぶほかない。労働は例外なく自分の欲求とは違う動きを求められるため、必ず心と体が削られていく。それを観念ではなく数々の実体験から身をもって知った今、労働を避けるより大事なことはない。

 

大学を卒業してから8年。労働はほぼパートタイムで、無職も長い。思えば余暇ばかりの8年だった。

 

もっと働けばよかったとはまったく思わない。働くことは苦行だからだ。働く前日の絶望感や、労働中の苦痛に慣れることはない。労働後は自分の時間を奪われた憤りがなかなか冷めない。1日でも働けば心身は安定を失い、しばらく平癒のための余暇が必要になる。

 

余暇に退屈を感じることはある。でもそれをうまく料理することが、人生の妙味ではないか。週5日フルタイムなんかで働いていたら、退屈することができない。

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ペーパードライバー歴8年、免許なんて要らなかったのか?

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私が自動車の免許を取得したのは2009年4月。大学卒業直後です。

 

それ以来8年、一度も運転していません。世にいうペーパードライバー。当時、家の車は自宅からだいぶ離れたところにあり、乗りに行くのが面倒でした。また父親と口をききたくないので、乗る許可を取るのが苦痛でした。そうこうしているうちに親は車を手放してしまい、レンタカーを利用するしかなくなりました。

 

免許取得にかかった費用は30万ぐらい。親にローンを組んでもらい、2年半ぐらいかけて返済しました。親が出してくれる家庭も多いようで、妬ましく思ったものでした。

 

免許を持っているのだから乗った方がいい。そう思うのですが、私はとにかく事故が怖い。乗らずに済むならそれが一番という価値観です。

 

元々、自動車というものをよく思っておらず、免許も取らないつもりでした。うるさいし、危ないし、排気ガスは臭いし。でも大学卒業間際に「免許がないと就職に不利」「社会人になると時間がないから、暇な学生のうちに取っておいたほうがいい」という声を聞いて考えが変わり、教習所に通い出しました。

 

教習を受け出しても「免許を取ったらぜひとも乗りたい」という気持ちは芽生えませんでした。また教材のビデオを観るにつけ「こんな危険なもの、運転しないで済むに越したことはない」と思いました。高速道路での教習は特に怖く、前日から緊張していて、当日は死を覚悟して臨んだものでした。

 

免許は学生のうちに取っておくべきなのでしょうか。少なくとも私は取らなくても良かったです。でももし取っていなかったら、取ったほうがいいのかとずっと悩んだことと思います。

 

30万円損した気がしますが、今の時点ではまだ損かどうかはわかりません。不要であったと断じることができるのは、死ぬ時でしょう。それまでに運転する機会があれば、役に立ったことになります。

 

もし免許を取らなかったとしたら、30万円払わずに済んだわけですが、20代前半の私がそれを活用できたとは思えません。それほどしたくないこと、それほど行きたくないところ、それほどほしくないものに少しずつ使って、消えていたことでしょう。そう考えると、30万円払って運転技術と道路交通法を学べたわけで、いい経験をしたと思えます。

 

従いまして、免許を取るか否か迷っている人には、取っておけばいいんじゃないかというのが私の意見です。


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いつかは実家を出たい

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実家ぐらしは息苦しい。

 

とりわけ父親が煙たいです。そして同時に恐れています。彼が私を養うか否かの決定権を持っているからです。私は実家から離れるのが不安なため、何とか実家にとどまりたい。だから父の機嫌を損ねないように気を配らねばなりません。

 

父が嫌でたまらないので、視界に入らないようにしています。運悪くすれ違った時など、顔をしかめるのをこらえるのに必死です。もししかめているのがわかったら機嫌を損ね「出て行け!」となりかねません。そうしたら瞬く間にホームレスです。

 

父が近くにいると呼吸が浅くなります。父のにおいを嗅ぎたくないからです。別に体臭が強いわけではありません。嫌いだから体がそういう反応をするのです。文字通り、息苦しい。

 

母親はああしろ、こうしろとうるさいです。たとえば服のことを注意されます。「もう春なのに、まだそんな厚着してる」とか。お皿を洗っていれば「そうじゃなくてこうした方がいい」、冷蔵庫からおかずを取ろうとすれば「そっちじゃなくてあれを食べなさい」、大根をすっていれば「その都度するんじゃなくて、いっぺんにすればいいのに」。

 

その他、お風呂に入る時間が遅い、起きる時間が遅い、カーテンはこのようにしめなさい、服のたたみ方が違う、まだ食べるのか、もう食べないのか、もっと食べてくれないと困る、それは高いからいっぺんに食べちゃダメだ、等々。

 

別に、何もかも言われた通りにする必要はありません。ただ、口を出されるだけで疲れてしまうのです。いや、口を出されるだろう思うだけで、もうグッタリしてしまう。何をしても口を出されるから、もういっそ何もしたくない。こうして無気力になります。親の過干渉が無気力な子を生む。

 

私が台所に行っただけで母もやって来て、冷蔵庫からあれやこれや取り出してきます。好きなものを食べたい……。自分で選びたい……。

 

そういうことをされるのが嫌で、何をするにもコソコソと、母に見つからないようにやることが多いです。よって家では堂々と行動できません。

 

親が家にいない時だけが自由です。でもそんな時間はあまりありません。平日の午後の4時間程度でしょうか。

 

***

 

実家を出ることに成功した人は、私に「実家から出なさい」と言うでしょう。しかし、そのハードルは高い。大嫌いな労働に耐えてお金を稼ぎ、その上で何もかも自分でやる。ちょっと想像するだけで萎えます。

 

お金に関しては、月に数万でも暮らしている人もいます。たとえば寝太郎こと高村友也さんは自作の小屋暮らしで2万、隠居の大原扁理さんは7万、カリスマニートのphaさんはシェアハウスに住んで10万以下。

 

でも私にはそれだけ稼ぐことすら厳しい。仮に稼げても、実家を出ることの不安が非常に強い。

 

シェアハウス見学に行って「一晩泊まっていってもいいですよ」と言われたことがあります。居心地のいい家だったのですが、私は実家に帰りたかった。自宅以外の風呂に浸かりたくなく、自宅以外の布団で寝たくなかった。夜は慣れた自分の家で寝ないと不安なのです。

 

このように、私が実家を出るのは難しい。どんなに親が嫌でも、実家を出るよりはマシと感じます。でも同時に「実家を出たい」という思いは常にあります。

 

たまに旅行にでも行って、よそで泊まることに少しずつ慣れていくといいかなと考えています。それに慣れたら、近所にアパートを借り、ちょくちょく実家に帰る。そして最後には実家のことなど考えず、遠くの住みたい街に住む。

 

こんな感じで変わっていけたらいいと思っています。


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人の目を見て話せなくてもいいと思う

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私は挨拶が苦手です。マンションに住んでいるのですが、住人とすれ違うと挨拶しなければいけません。つらいです。

 

でも近頃では挨拶しない人が増え、ひどい場合には、こちらが挨拶しても素通りされます。挨拶嫌いが苦しみに耐えて挨拶したのにスルーされる。堪えます。

 

さて、あなたも私のように挨拶嫌いだとしたら、どうしたらいいのか。悩んだ末、以下の対処法で乗り切っています。

 

挨拶は目を合わせず、声だけで済ませる。心もなるべく込めない。これだけで心理的負担がだいぶ減ります。私などは顔を進行方向に向けたままです。相手の方など見ない。

 

挨拶というものはしておきさえすれば、何も言われません。挨拶嫌いは人と関わりたくないものですが、だからこそした方がいいのです。無視はいけません。挨拶しないと呼び止められて注意される可能性があります。恐れていた人との関わりが発生するわけです。挨拶は人との関わりを最小限にするための策と言えます。

 

人によっては「目を見て挨拶しろ」と言ってくるかもしれません。でもそんな人はめったにいません。もしいたら、その人にだけそうすれば結構です。仕事上、接客なり営業なりで、目を見なければいけない場合も、その時だけそうすればいいはずです。

 

***

 

「目を見て話せ」と言う人が結構いるようです。本やネットで目にしますが、面と向かって言われたことはあるでしょうか。私はありません。

 

「目を見て話さない人は信用できない」と言う人がいますが、できないのだから仕方がありません。「目を見て話せない人は自信がない」という指摘も同じです。そう言われてもこちらには何もできません。

 

私は人と話す時、めったに相手の目など見ませんが、注意されたことはありません。コンビニで店員をしていたこともありますが、勤まりました。本やネットで苦言を目にすると思いますが、気に病むことはありません。

 

大学生の頃、先輩に「人の目を見て話せない」と相談したことがあるのですが「大丈夫だよ。ちゃんと見られてる。気になったことはない」と返されました。そういえば、一切見ていないわけではありません。会ったことのある人の顔は覚えていますから、無意識にチラチラ見ているものなのかもしれません。

 

そもそも、人の目を見ていたら話に集中できません。肯定なり否定なり、快なり不快なり、目は口ほどに物を言う。こんなものを見ていたら、その情報にいちいち振り回されてしまいます。

 

したがって、目を見られる人はそうすれば結構ですが、見られないのであれば無理することはないと思うのです。

 

また、相手の目が見られないのは感受性が鋭いためという説もあります。目から人の心の動きを感受しすぎてしまうために、無意識にそれを遮断しているのです。もしそうなら、これは美点ですので、尚更矯正する必要はなくなります。

 

西洋では目を見て話すことが必須だそうですが、日本ではそこまで言われません。よって西洋に住むのでない限り、それほど気にしなくてもいいのではないかと思います。土地の文化との相談ですね。


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転勤族家庭で育って思うこと

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たび重なる転校が子供にどんな影響を与えるのか。

子供に辛い思いはさせたくない。

 

転勤の多い仕事をされている方は、気になることと思います。私は転勤族家庭で育ちました。当事者として、そのことに対する気持ちを書きます。

 

結論から言えば、転校ばかりして育ったからと言って、自分は不幸だと思ったことはありません。そのことで親を恨んだこともない。

 

私の場合、タイミングがよかった。高校に上がるまでに6回引っ越したのですが、転校は3度しかなく、すべて小学校時代です。

 

タイミングがいいというのは、もっと悪い例があるからです。たとえば中学時代に毎年転校していたら辛いでしょう。ただでさえ心が不安定な思春期ですからね。また高校受験にも差し支えがあります。そしてこの悪い例に当たってしまったのが私の姉です。彼女は4つの中学に通いました。

 

***

 

話を私に戻します。

生まれてから小学校に上がるまでは東京で過ごしました。小学校に上がるタイミングで長野に引っ越し、4年生までいました。4年間も一緒にいた友達と離れるのは悲しかったです。

 

小学5年で大阪に引っ越しました。言葉も文化も違ってストレスが大きかったです。でもじきに慣れました。姉は中学2年で、いじめも受けたらしく、辛かったようです。

 

小学6年で栃木へ。しかし春と夏だけで引っ越しました。こんな短期間では思い入れも生まれません。転校に際してそれほどのストレスはありませんでした。

 

秋と冬は岩手。ここで小学校を卒業しました。少人数の学校で、私の性に合っていました。ここも半年で引っ越したため、別れが辛いということはありませんでした。

 

中学からは埼玉です。転校のストレスよりも、中学生になることのストレスのが大きかった。ただそれは周りの友達も同じです。自分ばかりがしんどいわけではない。つまり転校ストレスはあまりありませんでした。

 

***

 

転校が多いことのマイナス面を、私はあまり感じませんでした。性格がゆがむという例もあるのかもしれませんが、そういうことは転校しなくてもあるでしょう。いじめだって、転校しようがしまいが、標的になる時はなります。

 

ただ、やはりストレスは大きいです。生まれ変わっても転校したいかと言われたら、迷うことなく「NO」です。自分の子にこんなストレスは味わわせたくない。姉もそう言っていました。

 

***

 

一方で、一度も引っ越さないことの苦労もあるでしょう。子供の頃にしでかしたことを地域住民に知られているということですよね。息苦しさを感じます。この点に関しては、引っ越しが多くてよかったと思います。

 

私が今、実家でそこそこ快適に暮らせているのは、きっとここが「地元」ではないからです。高校に上がる前にまた引っ越したので、中学時代の自分を知る人は誰もいません。そもそも知り合いがいない。隣りに住んでいる人はどんな顔をしているのだろう。

 

弟は数年前に実家を離れましたが、街で中学時代の友達と会うのが嫌で、早く離れたかったそうです。

 

***

 

故郷や地元がない寂しさというのはあります。出身地と呼べるものがないことに、おさまりの悪さを感じたりもします。ただ、子供時代のたび重なる転校が、大人になった自分に影を落としていると感じることはありません。


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