30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの32歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返す男の日々を綴っていきます。現在は週2でポスティングをやっています。

「友達いないんだね」を乗り越える


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「友達いないんだね」

 

この言葉は、人を傷つける言葉として出回っている。ネット上で人を煽る時によく使われる。

 

私自身が言われたことはない。誰かが言っているのを聞いた記憶もない。ただネットで見たことがあるだけだ。それでも強烈なインパクトがある。胸が痛む。なぜなのだろう。

 

私は友達が少なく、つくるのが不得手だ。人と接することに負担を覚えるから、独りでいたがる。

 

どこかで「これは良くない」と思っているために「友達いないんだね」と聞くと「お前はダメ!」と否定されている気持ちになるのかもしれない。

 

「友達はいればいるほどよくて、いないのは人間としてダメなこと。もし友達がいないなら、努力して増やさないといけない」という思想に縛られているんだと思う。

 

とは言え、人と接するとすごく疲れてしまう。友達づくりなんて大の苦手分野だ。

 

*** 

 

しかし、常に友達がそばにいたらどうだろうか。朝起きたら友達の顔がある。朝食を食べている途中で友達が迎えにくる。玄関を出たら友達が待っている。学校や職場でトイレに立つと「俺も」とついてくる。小便器で用を足している途中で声をかけられる。

 

こんな生活、どうだろうか。私は耐えられない。これは極端な例だが、友達という存在を強調させるとこうなる。友達の数が多いほど、自分の時間に入り込んでくる機会が増える。

 

友達と話すのは楽しい。でも疲れる。たとえばトイレに行くのにも気を使う。独りなら自由に何度行っても構わないが、友達連れだとそんなに行けない。別に誰も禁止しないけど「また行くの?」なんて言われるのがすごく嫌だ。だから水分のとり方にも気を使ってしまう。30分でまた行きたくなっても、もう少し我慢してからトイレに行く。そんなだから疲れる。友達と会うのは時々がいい。そうでないと体が持たない。

 

そして時々会うぐらいなら、友達は少数で十分だ。ひとりでもいい。今友達がゼロの人も、いつかひとりでもつくれればいいのだから、気負う必要はない。

 

というか、そもそも友達は絶対に必要なものではない。

 

友達とは何か。定義はいろいろあるだろうが、まあ「身内以外で楽しくおしゃべりできるような人」という感じだろうか。それなら、出先でそういう人と出会えれば友達とそう変わらない。

 

旅行なんかすると、話しかけてくる人はいるものだ。特にこちらが若者だと、年配の人が話しかけてくれる。以前、湖畔で母が作った大きなおにぎりを食べていたら、散歩のおじさんに「でっかいおにぎりだね」と微笑まれた。銭湯で体を洗っていたら「石けんないの?」とおじさんが貸してくれた。共にそこから会話に発展した。

 

美術館や博物館などに行って学芸員に質問するのもいい。人と関わるのが苦手な人でも、好きな対象の知識を得るのが目的だと話せるものだ。

 

人とのベストな接し方は、ひとりひとりの性格によって異なる。世間の平均など気にせず、試行錯誤しながら、自分に合った形をつくっていってほしい。


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