30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの31歳。埼玉在住。基本無職、たまに働く男の日々を綴っていきます。ラブライブとビートルズと西武ライオンズが好き。

僕がポスティングの仕事を始めた理由


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チラシ配布員に採用された。バイトではなく業務委託、時給ではなく歩合制だ。これで僕も個人事業主。

 

個人事業主になるのは初めてではない。大学卒業間際に始めたメール便の配達も同じ形態だった。この仕事は3年間続けた。3年で辞めたのは、飽きたのと、もっと儲けたいと思ったのと、週5のフルタイムでどこかに勤めて安定したいと思ったからだった。

 

この試みは失敗した。同じ配達だからという理由で郵便局の配達員になったのだが、局内の人間関係でつまずいて1か月足らずで退職。この時の心の傷が深く、再びバイトを始めるまでに半年を要した。そして始めたスーパーの品出しも研修期間中に辞めた。その際には怒鳴られるわ説教されるわで、ほとほと人と働くことが嫌になった。その後の数ヶ月は、スポット派遣などで月に数日だけ働く暮らしだった。

 

次に就いた仕事は倉庫作業員で、週5だったが1日3時間。ここは2年間続いたものの、最後はまた人間関係で辞めた。常に悪口しか言わない人間に付きまとわれて心が参ってしまったのだった。29歳ということで「正社員になる最後のチャンス」という気持ちに駆られたこともある。

 

そうしてIT企業の研修に参加した。修了後、採用試験を受けるも不採用。そこからは無職と短期派遣のくり返しだ。直近の職場も、ネチネチと口うるさい爺さんの説教が引き金になって退職した。

 

どれもこれも職場の人間関係ストレスで辞めている。「もう人と働くのは嫌だ」と思って、なかなか無職から抜け出せなかった。

 

一番長く続いた仕事であるメール便配達は、人間関係ストレスのない仕事だった。配るものを自宅に届けてもらえるシステムだったから、人間関係そのものがなかったのだ。おかげで長く続いた。

 

給料は少なかったけど、遊ぶ金に困ることはなかった。ストレスが少ないから、散財したい欲求も起きなかったのだ。

 

それでも再びメール便配達をやろうと思わなかったのは、別の面で辛いことが多かったからだ。まず荷物が厚いし重い。自転車の前後のカゴに乗り切らない時もあり、そんな時は自宅と配達先を往復した。我が家はマンションの上の方なので、取りに戻るのが大変だった。

 

荷物満載のママチャリと共にエレベーターに乗り、エントランスを経て外に出る。この過程で何人ものマンション住人とすれ違う。そのたびに挨拶しなければならないのが嫌で仕方がなかった。挨拶というのは本当に辛いものだ(会社勤めが苦痛な理由のひとつだ)。

 

さて、メール便は厚さ2センチまでという決まりなのだが、3cmや4cmなどザラにあった。4cmのオールカラーカタログを200冊も300冊も配る時などはきつかった。ポストに入れても重すぎるから、裏側から落ちてしまうことも多かった。

 

サイズ超過を見逃すことで、送り主は安く済んで嬉しいかもしれないが、負担は配達員に来るのだ。個人の荷物はひとつだからまだいい。企業のカタログなどは何千、何万と刷られて発送されている。これらをすべてサイズ超過と知った上で送っているのだ。どういう気持ちでやっているのだろう。僕は常に怒っていた。関係部署に抗議の電話をしたこともあった。

 

また、病気でも休めないし、台風でも配らねばならないのも辛かった。ある日の夕方、高熱が出て立っていられない状態になった。この分では明日は配れないと思ったので営業所に電話したら「こんな時間に言われてももう代わりは見つけられない。配ってもらわないと困る」と言われた。当日ではなく、前日の夕方でもダメなのだ。その時は悔しくて泣いたものだった。荷物は違反だらけだが、配達員は病気でも土砂降りでも休めない。心から辞めたい思った瞬間だった。

 

一方ポスティングは、雨の日は配らないでいい。むしろチラシが濡れるので配ってはいけない。また配布日には数日の猶予があるので、病気で無理な時も連絡すれば何とかなる。メール便配達時代を思うと大変にありがたい。

 

そんなこんなで、僕はポスティングの仕事を選んだ。次の記事では、実際に働いてみた感想を書く。

 

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