30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの32歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返す男の日々を綴っていきます。現在は週2でポスティングをやっています。

ポスティング初日と挨拶嫌い


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6月某日。ポスティングA社の研修。スタッフが付いてきた。効率的な配り方などを教えてもらい、30分ぐらいで終了。残りはひとりで配った。担当地区は400戸ぐらいで、計2時間半ほどで終えた。以前にメール便を配っていた地域だったから、この程度で済んだ。知っている街だから迷うこともない。それほど疲れなかった。チラシは1種類だけで、報酬は500円弱。

 

翌日。ポスティングB社の研修。こちらはスタッフが配り終えるまで付きっきりだった。前日と同じ400戸程度だったが、知らない地域だった上、チラシが3種類あったため、4時間半ぐらいかかった。とても疲れた。報酬は2000円弱。

 

ポスティングをやっていて一番辛いのは、庭先に住人がいる時だ。「チラシを配ってもいいですか」と尋ねなければならない。A社の時は、スタッフがいる時だけ実践した。ひとりになってからは、住人が庭にいる場合は配らなかった。とにかく人と関わりたくないからだ。僕は人と関わると猛烈に疲れる。

 

しかしB社の方はスタッフが付きっきりだったから、住人と会うたびに挨拶をした。挨拶が死ぬほど嫌いなので本当に辛かった。でもこれからはひとりで配るのだ。もう二度と挨拶はしたくない。挨拶をすると、その場で倒れ込みたくなるほどに疲れる。挨拶は拷問のようだ。

 

まあ、いないと思って配ったところに出くわしてしまった場合には挨拶をする。しないとクレームになるからだ。僕にとって挨拶というのは、怒られないためにするとても消極的な防御だ。関ヶ原の戦いで周囲を囲まれた島津軍は、前方に突撃して逃げたらしいが、僕にとっての挨拶はそんな感じだ。「窮鼠猫を噛む」の心理状態で、積極的な意味はまったくない。他に逃げる手段がない場合の最後の手なのだ。したがって、ただただ苦痛な習慣でしかない。仕事が辛いのは、挨拶が辛いからだと言ってもいい。

 

挨拶というのは、必ず演技をしなければならない。会いたくない、見たくない、関わりたくない人に、均等に、ロボットのように、誰に対しても同じ調子で声をかけなければならない。あまりにも無理がある。

 

しかし、街で大勢の人とすれ違うのはあまり苦じゃない。その人たちとは関わらないでいいからだ。人がいても、関わらないでいいのなら疲れない。誰かが自分の近くにいるのは不快だが、挨拶に比べれば楽だ。挨拶をせねばならない間柄の人と会ってしまった時、僕はその場で消えてなくなりたい気持ちになる。それをこらえて平静を装って挨拶をするのだから、疲れるわけだ。

 

ただ、仲のいい人と会う分には苦は少ない。その日の最初の出会いは苦しいが、職場や近所の人と会った時に強要される挨拶と比べると、その先に楽しい会話が待っているため、それほど苦しまずに乗り越えられる。

 

***

 

それはさておき。

B社の研修の翌日に、A社のポスティング(2日目)を実施した。前日の疲れが取れておらず、またチラシも研修日の4倍ぐらいになっていて、非常に辛かった。リュックを背負う時、後ろに倒れそうになるぐらいだった上に、30度を超す炎天下だ。辛かった。報酬は2000円弱。

 

その日は夕飯を食べてすぐに寝た。12時間以上寝たが疲れが取れず、更に昼寝をしなければならなかった。

 

この先も続けられるのだろうか。それはわからない。そもそも、続けたくもない。消去法でやっているだけだからだ。

 

挨拶の苦痛が少ないので、他の仕事に比べると、心の消耗は少ない。人と関わるだけで身も心も削り取られていく僕のようなタイプには、マシな仕事かもしれない。


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