30代で実家ぐらし、仕事が続かない男の日々

1985年生まれの32歳。働くことが苦痛すぎて耐えられず、無職と短時間労働をくり返す男の日々を綴っていきます。現在は週2でポスティングをやっています。

16歳の夏、初めての一人旅(小岩井農場・伊東編)


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※この記事は下記の記事の続きです。

 

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(JR伊東駅)

 

旅の2日目は、盛岡駅からバスで小岩井農場へと向かった。

 

ここでは乗馬を体験した。馬場の外で見知らぬ人にカメラを渡し、僕が近くに来たら撮影してほしいと頼んだ。何て厚かましいお願いだろう。よくできたなと思う。若さゆえなのか。

 

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夕方、新幹線で東京へ。事前に予約しておいた大塚のビジネスホテルに向かった。予想以上に古くて暗くて嫌な感じがした。フロントには老婆とその息子と思われる男性がいて、ふたりとも覇気がなく陰気だった。

 

部屋に入って布団をめくると、黒いゴキブリが出てきた。僕は「もうこんなホテル無理」と判断し、カウンターに向かった。「突然親から連絡が入り、帰らなければいけなくなった」と嘘をつき、ホテルを出た。

 

さて、どうしよう。もう夜の9時を過ぎていた。ガイドブックを開き、巣鴨のビジネスホテルに電話した。空室ありとのこと。助かった。今度はきれいなホテルだった。7000円いくらかだったかと思う。

 

ただ寝るだけなのだから割高だ。でも仕方がない。2001年にインターネットでホテルの予約はできたんだろうか。まだそこまで進歩していなかったんじゃないか。たとえできたとしても、16歳が知っている時代ではなかった。

 

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朝は7時に起きるはずだったのだが、40分ぐらい寝坊した。そのため朝食は食べずに出発。巣鴨から新宿に移動し、スーパービュー踊り子号に乗った。座席に端子があり、イヤホンを差すとラジオが聴けた。ハイテクだなあと思った。

 

伊東で下車した。駅前にソテツの木が植えられていて、南国ムードが漂っていた。海水浴場まで歩き、上半身裸になって砂浜に寝転んだ。僕は色白なのだが、当時はそれが嫌で日焼けしたかったのだ。

 

数時間じっくり焼いた後、銭湯へと向かった。風呂に入って初めて、僕は体を焼きすぎたことに気付いた。痛くて湯船に入るのが大変だった。

 

洗い場に向かうと、腰掛けがない。周囲の人は地べたにあぐらをかいていた。嫌だったが仕方がないので真似をした。まったく参った。

 

しかしそれ以上に参ったのは、隣りのおじさんが体中に入れ墨をしていたことだった。怖いので関わらずに済ませようと思ったのだが、「石鹸持ってないの?」と話しかけられてしまった。

 

はいと答えると、貸してくれた。それをきっかけに会話が始まった。見た目は怖かったが、中身は普通の人で安心した。おじさんは「自転車で日本一周でもしているのか」と聞いてきた。僕はそう思えるぐらいに日焼けしていたのだった。

 

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旅はこれで終わり。あとはまっすぐ埼玉の自宅に帰った。

 

日焼けは重症で、ヤケドと言っていいぐらいだった。肌の色は小麦どころか紫がかっていた。シャワーもつらく、ぬるま湯をチョロチョロと浴びることしかできなかった。シャツがこすれるのが痛くて、日常生活に大きな支障があった。皆さんも肌の焼き過ぎには注意してほしい。

 

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これ以降、僕は泊まりの旅を一度もしていない。はっきりとした理由はわからないが、おそらくこの旅がそんなに面白くなかったからだ。もし面白かったのなら何度もやるだろう。

 

この旅から間もなく、僕は不登校になった。親に怒鳴られ教師になだめすかされ、何とか進級し、保健室登校など低空飛行を続けたが、2年の秋からは完全に行けなくなった。

 

それからはアルバイトもできず、近所の市立図書館にひきこもるだけの日々が始まった。友人・知人ともに皆無、行くところもなく、インターネットもない。どこまでも孤独で、ただただ本を読むしかなかった。鬱憤はひたすらノートに書き綴った。そんな生活が大学に入学するまで続いた。

 

この旅は、暗黒時代前夜の、最後の楽しい時間だったのだ。


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